日曜日、
昨日とは打って変わって、今日は自分の時間を自由に使える一日である。
気温は低いけど、天気は最高に良いので、朝から準備をして図書館に向かった。
平日は、まとまった時間を取ることが難しいから、とにかく週末はしっかりと本を読みたい。
一年前の今頃は、読む本のジャンルがだいたいマーケティング関連だった。
しかし今は、哲学や人間の心理、小説がほとんどだ。たった一年なのに、ここまで興味関心が変わるのか~と、自分が読む本のジャンルが、いま自分が置かれている立場や状況に大きく影響されることを改めて認識。
図書館に行くといっても、僕の場合は近場の図書館には敢えて行かない。
最低でも徒歩1時間以上かかる場所を選ぶ。
それは、歩きながら大好きなポッドキャストに浸りたいからである。
どのチャンネルを聞くかは、その時の自分の興味関心に加え、体調にもよるのだが、
今日の一発目はTBSラジオの「アシタノカレッジ」だ。
この「Nextar’s Room」というコーナーは、まだ世の中的にはそこまで一般的にはなっていないけど、今注目したい新しいサービスや企業、人々を紹介するコーナー。
多くは、社会問題と深く関わっている起業家、サービスなどが紹介される。
このコーナーをずっと過去までさかのぼって聞いていたのだけど、
その中でも、全ての人々がかっこよく輝ける社会を目標に、障がい者の雇用、就労支援をされている「久遠チョコレート」の代表・夏目浩次さんのお話が印象的だった。
というのも、最近のコテンラジオで取り扱っているテーマが「障がい者の歴史」だったからだ。
この中で深井さんが、社会の中で「進歩」ということがどういう風に捉えられているのか、というくだりの中で、
「進歩というものがどのように定義されているかどうかは、時代や状況によって変わるから、絶対的にこれが進歩しているなんていうことはない。それが進歩しているか・していないかの判断は、あなたの個人の判断だ」
という風に仰っていて、本当にそうだなと思った。
数百年前から見た今の時代は、当時の考え方や価値観で見たらむしろ退化しているかもしれないし。
だから、障害を持っている・持っていない、ということが劣性かどうかということに結びつくことはおかしい、ということを改めて思った。
じゃあ優れているっていうことも簡単には定義できないし、
それも、ある特定の社会や時代、そして個人の判断基準の中でしか語れない、非絶対的なものであると認識。
昨日の日記に、「才色兼備」とか「英才教育」とか書いたけど、
これが優れているかどうかも絶対なんてないんだよなぁとしみじみ。
なんかまとまっていないけど、差別や偏見、劣っているとは・優れているとは、について考えた一日だった。
おやすみ