HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

5月6日 みんな当事者だと思ったこと

5月6日、

今日も良く晴れている。こんだけ晴れていると、少しは雨降れよって思ってしまう。それくらい、今年のGWは良く晴れている。風があり得ないくらい強いけれど、そんなこと全く気にしないという感じで、人々は朝から外出をしている。僕はテレビを一切見ない(というより、先日地下収納に片づけてしまった)ので、外出状況に関する報道は見ていないのだけど、時折目にするYoutubeのニュース番組だったり、報道系のラジオから、賑わいの様子が嫌でも伝わってくる。

 

もともと、人混みは苦手だ、というよりもコロナで余計に苦手になった。いま考えたら、多くの人間が集まる学校みたいなところに、よくノーストレスで通えたなと、我ながら昔の自分をほめてあげたくなる。それくらい、今は人混みが苦手だ。

 

でも、五感の中で聴覚が一番敏感な僕は、ノイズキャンセリングイヤホンをしてしまえば、もうそこは別世界になる。今日も、人が有象無象と連なる街中を、イヤホンをしながら颯爽と歩いていた。小説やビジネス書を、街中を歩きながら耳で読むって本当に贅沢だ。幾つか、自分の心にぐっときたことをシェアしたい。

 

まずは、小説から。明日以降、ビジネス書の感想も書いていく。

 

自分が本当に困っている時ほど、誰かとの会話で「大丈夫」って言いがち、ということ。例えば、友達と会話をしている時、何か本当にどうにもならないくらい困っていることがある時に、それをそのまま友人に伝えることって結構難しかったりする。そういう時、

「~なんだよね、まあ特に大したことはないんだけど」

「全然大丈夫なんだけど、〇〇なんだよね。でも、こんなん全然大丈夫なんだけど」

みたいな感じだ。これ、その友人に対して、自分は大丈夫だよって言う風に伝えているんじゃなくて、自分が自分に対して大丈夫だよって言ってあげてるんだよね。ほかにも誰もそんなこと言ってくれないから。みんなそれぞれ性格も境遇も違うから、理解するってかなり難しいし、気安く「わかるよ」なんて言えないと、僕は思ってしまう。だからこそ、自分が困っている側だったら、簡単に悩みを打ち明けることなんてできないと思う。だって、分かるはずなんてないんだから。でも、吐露しないとやってらんない、っていう時もあると思う。そういう、もうどうしようも感情が抑えられなくなってしまった時、自分を励ますような口調で、

「わたし~なんだよね。ま、そんなん全然大丈夫なんだけど」って言ってしまうと思う。

 

もし自分の周りにそういう困っている人がいたら、気持ちを察することができるような人になりたいと思う。もちろん、自分が当事者じゃなければ、その気持ちを本当に理解することはできない。

でも、困っているということに関しては、自分が困っていることを想像して、気持ちを寄り添わせることは出来るはずだ。

都内を歩いていると、様々なデモに遭遇する。有名どころだと、東京レインボーパレード。ほかにも、ミャンマーの支援、入管法改正に関して、ホームレスの人々に対する対応について、などなど。やっぱり共通しているのは、困っている人の声だ。

 

困っていることを、ちゃんと『わたし、困っているんです』って言えること、まずこれが素敵。そして、それに遭遇したら、自分は困っていない、とか、自分はその当事者じゃない、とかじゃなくて、もっと視点をメタにして困っているという状況を経験した人という観点では、同じ立場にあるということを自覚したい。

 

困っている人を助けたら、そのレベルは問わずして、幸せが少し増えて、それで幸せになった人が、また他のことで困っている別の当事者を助ける、という風に繋がるかもしれない。

 

今日は、とある小説を耳読しながら、そんなことを思った。

 

おやすみ。