HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

6月3日 あなたが言うから正しいは、間違っていると思う

土曜日、

 

昨夜寝るとき、明日の朝は雨やんでくれてたらいいなぁと思って寝床についたのだけど、気持ちよいくらいその期待を裏切られた朝だった。

昨夜ほどではなかったけど、豪雨とはこのこと。

正直、この中でランニングするのはどうかと思ったけど、もう躊躇うよりも先に、体が勝手に準備を始めてしまっており、結果として30分間のランニングを敢行した。

これが平日だったら辞めていただろう。朝6時台でも、この辺りは平日だとそれなりの人が会社や学校に向かって家を出ているから、事故に遭うだろうし、何と言っても惨めすぎる。

ただ、運よく今日は土曜日。これは、走れってことなのかなと思って走ってみた。そんな中で聞くvoicyは、正直頭に入ってこないと思っていたけど、今日聞いた内容がかなり腑に落ちたのでそれをシェアしたい。

voicy.jp

 

部下は育てるのかどうなのか、という話だった。

このトピックそのものを深堀するというよりも、ここから少し発展して自分が思ったことについて話したい。

僕は後輩を育てるということは苦手だ。一方で、後輩と一緒に仕事をする、作業をするということは得意な方だと思っている。どういうことかと言うと、一方的にこちらが教える立場で、そのアドバイスを前面から受け入れて従ってもらう、そんな構図の中で自分が、指示を出す側という確固たるポジションになることが苦手なのだ。

というのも、僕は自分の意見やアドバイスというのは、基本的に自分の経験が元になって出てきたものであるから、そこに普遍性はないと思っているからだ。

もう少し完結に言うと、それが必ずしも、部下や後輩に取って正しいかどうかは分からないと思っている以上、一方的に指導する側、教える側に立ちたくないという風に考えている。

参考情報としての一つの事例くらいに留めておいてもらって、あなたにとって何が正しいのかどうか、何が適切なのかどうかは、あなた自身で選択をしてほしい、というよりも何なら一緒に考えようよっていうスタンスなのだ。

だから、後輩を育てることは苦手で、まるで同期のように一緒に試行錯誤したりするのはウェルカムだ。

 

考えてみれば、僕が大学生中ずっとやっていた塾講師のアルバイトでも、集団授業は苦手で、個別指導はすごい得意だった。生徒もそれを感じ取っていたみたいで、個別指導では沢山指名が入る一方、集団指導ではよく分からないという評判をもらっていた。

集団指導だと、こちらと相手が正面に位置するから、先生と生徒という構図が明確になってしまうのだけど、個別指導だと横に座るから、まるで友達同士のような感覚で、一緒に考えようか、と言う風に話ができる。

 

僕は、小さい頃はスポーツ少年団で6年間バスケットをやっており、中学・高校・大学の途中まではずっと吹奏楽部だった。それぞれ好きだったのだけど、どうしても一つの違和感が拭えなかった。それは、指導者絶対崇拝の姿勢だ。

 

もちろん、バスケも吹奏楽も、自分よりもはるかに経験がある指導者の言っていることは、正しいかもしれない。ただ、技術的な指導が正しいからと言って、その先生・指導者の思想を崇拝する必要はないと思う。

 

コーチが右向けと言ったら、右を向く。

コーチがつまらないギャグを言ったら、スイッチを入れられたように笑う。

コーチが何か言ったら、全力で頷く。

 

え?言っていること、ちょっとおかしくない?練習って、今の時代、質より量じゃなくて、量より質だと思わない?こんなに忙しく、みんな家庭環境がバラバラの中で一つの部活に入ってるんだから、限られた時間の工夫が必要じゃない?

 

例えばこんな風に、僕はだいたい言われたことに対して、それが本当に合理的なのか、自分として受け入れられるか、考えていた。だから、よく顔に出てるよって言われたり、判断が遅いって言われた。

 

こんな風な一方的な指導と、それへの一方的な崇拝は、家庭内でもあって、今の父ではない血が繋がっている父の方は、子供と母にそれを求めた。

 

だから、こういう指導方法とか崇拝とか、本当に反吐が出るほど嫌だった。

 

僕が、一方的に後輩に指示を出したり、アドバイスを出したりして、それを全面的に受け止めたり、さわやかな顔で「はい!分かりました!」と言われると、気持ち悪くなってしまうのは、そこにあるのだと思う。

 

と、いう今日は思考のプレーバックが少し起こりました。