日曜日、

自分が置かれた場所の中で、どうすればそこに価値を見出せるか、どうすればその状況を楽しめるか。
意識して考えたことは一度もないけれど、自然とこういう思考回路になっているのだろうと、最近思うことが多い。
結論、その環境を楽しむためには、その分野において詳しくなることが必要であり、その環境に置いて人と繋がることが必要である。私はそう思う。
例えば学生時代。自分が研究していたものに共通していたのは、マイノリティ・表象文化・芸術・言語、であった。まず英語でのやり取りが苦になっていては、話にならない。ということで、語学の習得は毎日欠かさず何かしらやっていた。けれど、それを辛いとか、しんどいとか、一度も思ったことはなかった。
例えば前職時代。食品メーカーのマーケティング・事業企画職。マーケティングの基本知識や事業構造の知識が分かっていないと、ただの給料泥棒である。とにかく土日は勉強に費やした。でも、同じように辛いと思ったことはなかった。
そして今。今度は新しくSQLというデータベースに指示を出すための言語の習得が待っていた。これは結構骨が折れる作業だったけれど、これも特に辛くなかった。
目の前にやることがあるとテンションがあがる、そういう性格なのかもしれない。
こうやって過ごしてきた結果、確かにキャリアの各段階において
「努力家だね。すごいね」と、
こう言われることが多かった。そのたびに、「そんなことないよ」と、笑って返すことが多かったけれど、ものすごい違和感を覚えていた。
別に一生懸命頑張っているわけじゃないから、本当にそれがすごいのかどうか分からない。
かと言って、努力をしていないというのも、それは嘘になってしまう。
「いやいやいや、全然ですよ」
もう何百回目の「いやいやいや・・・」だろう。会話の中でこういう話になるたびに、またこれか、、、という虚しさを感じていた。こういう風にしか返せず、この先の会話が続かないことを考えるに、「本当は努力してること、自分でも誇っているんですけどね」みたいな深層心理がありそうで、そういう自分自身も好きになれない。
あーあ、なんでいつもこうなってしまうんだろう。
そう考えていた時に、出会った考え方。
「こういう自分になったのは、僕のおかげじゃない。僕の周りの人のおかげである」
もうちょっと分かりやすく言うと、例えば英語。
確かに僕は英語ができる方かもしれない。でも、いまこうやって英語を話せているのは、英語を教えてくれた人、そういう機会を提供してくれた人・場所があるから、という考え方だ。
こうやって考えると、
「いやいやいや、全然ですよ」と否定することは、僕に色々と教えてくれた人達を否定することと同義になるのだ。
だから、全然ですよ、と否定するのではなく、
「周りの人のおかげですよ」と、これが一番しっくり返し方であるし、本当にその通りだから、体が痒くなるようなこともない。
そして同時に思った。
ということは、次は僕が与えなければいけない立場ということだ。
そうやって回っていくのだと思う。というか、そうやって循環させなければいけない。
もう32歳。そろそろ与える立場になっていっても良いのかも。きっとその立場になるために、また何か新しいことを学んでいくんだろうし、その時にまた教えてくれる人が現れるんだろうな。
こういう考えを教えてくれたのは、藤井風さんの「帰ろう」という歌である。
是非聞いてみてほしい。