日曜日、

1週間の中で楽しみにしている曜日がある。
それは毎週金曜日である。
明日から週末だから?そうではない。
Audibleが更新される日だからである。
読みたい本が多過ぎて、全てを買うことはできない。
図書館の検索で蔵書されているかどうか、確認する。見つけたらすぐに予約。でも、人気の本は100番台なんていうことも結構ある。待てない。
そんな時にAudibleの最新リストをチェックする。
「おお、この本が新しく視聴可能になっている!」それが興味があった本だと、本当にワクワクする。
さて、今週金曜の更新。それなりの本が新たに入荷されている。
そこに1冊の本が、新たに視聴可能になっていることを発見した。
『世界の中心で愛を叫ぶ』片山恭一
なぜこのタイミングなのだろうか。
あれか、夏休みシーズンになるとスタジオジブリの作品が金曜ロードショーを毎週席捲するような、あの感じと同じかな。
そう思っていた矢先、そういえばまだ原作であるこの本を読んでいないことに気が付いた。映画はもちろんだが、僕はこのドラマを見て号泣してしまい、ロケ地である静岡県の松崎町にも行こうとしていたくらいだ。
聞いてみるか。
それほど長くない小説だし、半日で聞き終わってしまった。
確かに良い小説。ただ、やはり少し前の恋愛小説という印象が強い。恋空とまではいかないが、分かりやすく、かつ多少無理があるストーリー展開の速さに少しげんなりしてしまった。
なぜ僕は、このドラマにあそこまで感動したのだろう。
そもそも、僕は誰かを本当に心から愛した経験がない。
愛しくてたまらないとか、切ないとか、そういう感情をパートナーに対して抱いたことがない。だから、本当に愛していた人を失う悲しみに対して、確かにそこに同情することはできるけど、本心から共感することはできない。
そういう運命だったのかもよ、と思ってしまう。
一方でだ。
勉強でも部活でも、恋愛でも友情でも、趣味でもアルバイトでも何でもいい。
いま目の前にあることに対して、後先考えずに、今その瞬間で、全力で向き合っている。そういう姿勢に僕は胸が打たれるのである。
そして、全力で向き合っているからこそ、うまくいけば心の底から喜ぶし、思い通りにいかなければ、叫びたくなるほど悔しいのである。
歓喜の時も、底辺に落ちている時でも、いつでも平等なのは季節や自然といった風景であり、溢れ出た感情を携えながら見るその景色は、いつも美しいのである。
僕の場合、だいたいそれは夏だった。
小学校の時の合唱コンクール。今となっては珍しいと思うが、夏休みはお盆意外全て練習だった。
中学の時の吹奏楽コンクール、そして英語の海外派遣。これも夏だ。
高校生の時の吹奏楽コンクール、野球応援。これも夏だ。
全部、負けを経験して、泣いた。
でも、夏はいい。夜まで暑いから、外に出て泣けば、誰にも泣いている姿を見られない。
中学も高校も、自転車で30分。
中学生の時、荒川の河川敷から少し下に入ったところで、悔しくて泣いて帰った。高校生の時、コンクール会場から学校に戻り、楽器の搬入を終えて夜の9時過ぎ。部室の前の広場に寝そべって泣いた。
そういう景色がずっと僕の頭から離れない。
大人になると、ずるくなる。
でも、ずるくないとやってられなくなる。お金を稼ぐとはそういうこと。
理不尽な世の中でやっていくとはそういうこと。
だからその瞬間に全力で居られるのは学生の特権だと思う。
にもかかわらず、そういう特権が病気のせいで奪われてしまうということが、心から苦しくて、それでこのドラマを見ながら、号泣してしまったのだ。
夏。今に全力な学生たちを見ていると、胸が熱くなる。
世界の中心で愛を叫ぶ、僕にとっては、最愛の人を失くす喪失感よりも、何もかも全力で取り組めるその特権が奪われてしまうことの悔しさ、ここにどうしようもない悲しみを覚えたのだと思う。