日曜日、

言葉の持つニュアンスによって、私たちの思考はこんなにも影響するのか。だからこそ、表現に敏感でありたいと改めて思った体験であった。
今日も音声コンテンツを聞いて、僕が思ったことを紹介したい。
朝日新聞がプロデュースしている音声コンテンツ「朝日新聞ポッドキャスト」。政治、生活、社会、経済、外交などなど、多岐にわたる領域をカバーする記者がいる分、配信している話題も幅広い。
昨日聞いたのは生活に該当するトピック。具体的には社会保障制度に関わる話である。朝日新聞で展開されている「Re:Ron」というメディア。Webサイトには、立ち止まるためのメディアと紹介されている。加速する社会、情報が溢れる社会の中で、次から次へと新しいニュースが出てくる。そんなカオスな状況で埋もれてしまう視点の中に、実は立ち止まってしっかり議論すべきポイントがある。そういう話題を切り口として取り上げている、そんなメディアである(と、私は解釈している)。
ゲストスピーカーとして番組に登場されたのは、社会福祉士の横山北斗氏。
「知らないのは罪ですか?権利の意識」という連載を、このRe:Ronで展開されていた方だ。
僕も全然知らなかったのだけど、実は社会保障制度はかなりの種類・数が存在していて、生活に困窮した時に申請できるものが沢山あるらしい。
例えば生活保護制度。僕もてっきり勘違いしていたのだけれど、仕事に就いていない人しか申請できないと思っていたら、実は働いていても申請は出来るらしい。
僕のように勘違いしている人は世の中に沢山いるようで、特に教師や医師のような職業の人達でも、知らない人は沢山いるから、それによって傷つく人も多いのだという。申請する人も、その周りの人も、知っておくべきことである。
ただ、ここで僕が焦点を当てたいのはそこではない。制度の名前の問題である。
先ほど挙げたこの「生活保護」。皆さんは、この言葉からどういうイメージを抱くだろうか。
僕は、”保護”という言葉がついていると、”護”の訓読みから、何かを守るというイメージが強い。自然保護とか、動物保護とかそういう熟語が持つイメージが影響していると思う。そして、自ら自分を守るというよりも、より強い方が、より弱い方を守ってあげるというような、ちょっとそういう権威的なものも感じてしまう。
だから、生活保護という言葉を聞くと、受給者という言葉一緒に連想されて、受給者を守ってあげるものというニュアンスで受け止めてしまう。もう自分ではどうにも行かなくなってしまった人を、社会保障で守るというイメージだ。
この「守ってあげる」というニュアンスが、この制度のイメージを悪くして、そして浸透を妨げているのではないかと思う。
今回番組でも出ていたのが、なぜ「生活保障制度」ではないのか。この視点は最もだと思った。
どうだろう。「生活保護制度」と「生活保障制度」だと、思っていたよりも全然ニュアンスが違くないだろうか?
保障という意味を辞書で調べてみると「安全や権利を保護し、まもること」と書かれている。
え?保護?ほとんど同じではないか。
もうちょっと厳密に見てみると「障害の内容に保つこと。侵されたり損なわれたりしないように守ること」と書かれている。
なるほど。さわる・へだてる・ふさぐ、つまり障の訓読みの意味が込められているようだ。
ほとんど似たような意味なのに、保護と保障だと全然違う風な印象を持たないだろうか?個人的には、保護は誰かによって助けられている感じ、保障は国の制度を自ら取りに行く感じ・自ら自分を守る感じ、そういう違いを受ける。
ここに、この制度があまりポジティブなイメージを持たない背景があるのではないか。もし自分が生活困窮状態に陥っても、生活保護というとなんか申し訳ないと思ってしまいそうだし、なんか社会の底辺みたいなイメージを持ってしまいそう。
一方で、生活保障と言われると、積極的にその制度を使いに行こうと思う気がする。権利なんだから、と。
たかが一文字、でもされど一文字でこれだけ違う。今後、生活保護制度が、生活保障制度に変わったら、どれだけの人が助かるのだろうか。結構そこには可能性が秘められていると思う。
ちょっと立ち止まって考えてみる。少し視点は違うけれど、図らずしもRe:Ronの目的通りに、何気ない視点をいつもとは違う切り口で考える体験であった。