火曜日、

余計なことは言わず、思考を行動として示す。これに尽きると思った。
今日もVoicyからの学びを共有したいと思う。昨日に引き続き、尾石はるさんの放送内容から感じたことである。
今回のテーマは当事者問題について。具体的には、当事者ではない人がその問題を語ることについてである。
例えば社会問題を訴える男性政治家。テーマは女性活躍。中でも、一度出産を経験した女性が再び社会で活躍できるような、そういう社会を目指したい、のような訴求内容。この問題を訴えること、そのこと自体は正しいと思うし、そういう社会が実現したら素晴らしい世の中になると思う。でも、この人は、女性でもなければ、出産を経験したわけでもない。問題の当事者ではない第三者がその問題を発信することについて、もしかするとモヤっとする人がいるかもしれない。ただ、じゃあこの人が女性になり、出産を経験できるのか、というとそういうわけでもない。非常に難しい問題だ。
とはいえ、一点だけ気を付けておきたいこと。それは、無意識的に当事者を下に見るような発言をしてしまう可能性がある、ということだ。
「女性でも社会をリードできる立場に」という発言は、結構な頻度で耳にするけれど、この「~でも」という言い方。これ、同じ表現を男性に対しても使うだろうか。恐らく使う人は少ないだろう。
意図していなくても相手を下に見てしまう発言、傷つけてしまうこと、つまりマイクロアグレッションが横行してしまう。当事者問題を、当事者ではない人が語る時はここを注意しなければいけない。
ただ、どんなに意識していても、本当に心からそう思っていなかったとしても、数十分、数時間とその問題について話していれば、自然とポロっと出てしまうこともあるだろう。
「外国人なのに日本語が上手ですね」
「障害をお持ちなのに会社を経営されていてすごいですね」
「片親の家庭で育ったのに、よくここまで立派になりましたね」
これ、当事者が当事者のことを語るとき、決して出ない発言である。意図はしていなくても、その周りのマジョリティの人たちが自然と発してしまうのだ。
言い方を変えれば偽善とも言えるかもしれない。僕は大学生の頃、長期休暇を使って開発途上国のボランティアに行っていたのだけれど、その時に似たようなことを感じた。
こういう環境なのに○○、みたいな発言が多いけれど、確実の底には支援者と被支援者との間でのヒエラルキーがあった。当事者ではない僕たちがこういうことをすること、それは単なる偽善や自己満足に過ぎないのではないか、ということ。
ただ、その行為をすることによって救われる人がいることは確かであり、ボランティアというのが支援者にとっても、自身をエンパワメントすることになるということを改めて理解した時、出てきた答えはただ一つだった。
黙って行動に移すこと、行動で示すこと、これが大切。
少し話が飛躍したけれど、今日聞いたVoicyを通じて改めて感じた当事者問題と、当事者ではない人がそれにどう向き合うかという僕なりの答えである。