日曜日、

定年のない仕事に就きたい、一方で家事には定年を設けよう。母との会話、そして日経の記事を読んでそう思った。
土日祝日がお休みの人にとって、今日はお盆休みの最終日。多くの人が実家に帰省したり、どこか旅行に行ったのだと思う。昨日も書いた通り、僕の会社は今年からお盆休暇の一斉取得をやめたから、普段通り働いていたし、何ならいつも以上に働いていた。SNSを見ていると、結構そういう企業がチラホラあるみたいで、僕の友人も結構働いている人が多かった。
翻って僕の実家。両親の話。埼玉ではあるけれど、割と田舎に位置する我が故郷。そして両親ともども、実家は埼玉ではないからお盆期間は、一連のお盆行事をこなすことがデフォルトになっている。13日に迎え盆、15日に送り盆をしっかりやってきたとLINEで教えてもらった。
母は個人事業主、父は小さな会社の経営者だから、割と自由に休みが取れる。どちらかというと、父の方が超休みはしっかりと休暇に入る方針がある。というのも、一応何人か従業員を抱えているから、彼らのことを考えてしっかりと休暇を作っているのだという。今回のお盆も相当長い休みだったらしい。
「やっと今日から仕事。本当に長かったわ」と、母からのLINE。主語がないけれど、父の事を言っているということはすぐにわかった。別に仲が悪い夫婦ではないけれど、それでも普段バラバラに仕事している2人がずっと一緒に居ると、ある程度のところで居心地が悪くなるというのは理解できる。そもそも、母は僕と同じで、一人でいるのが好きな人だ。そんな彼女が、誰かとずっと同じ時間・空間で過ごすというのは無理があるだろう。
そして追加のLINE。
「本当に心から思うわ。この人に定年がなくてよかったって」。
定年を迎えて職場に行くことがなくなったら、ずっと夫が家にいるわけである。それが耐えられないというのは非常によく分かる。会社を経営しているけれど、従業員ではないから、父は自分が働けなくなるまでは経営をしていくつもりらしい。
母も個人事業主だから、自分の指先が動かなくなるまで仕事をし続ける予定とのこと。つまり定年がない。お互い暇を持て余さず、かつ、やることがそれぞれ別々に存在している中での夫婦関係。これは理想的である。
やっぱり仕事には定年を持ちたくない。これは切実に考えていることだ。
一方で家事はどうだろう?僕は、家事には定年があってもいいと思う。
特に、自分のためでなく、誰かのために行う家事のことだ。
僕の中では、掃除や洗濯は自空間を衛生的に保つ上で必要だから、自分のための家事という位置づけである。それは、例え夫婦で暮らしていてもそうだろう。
では、調理はどうだろうか?海外で一人暮らしをしていた時も、いま都内で一人暮らしをしていても、自分一人分の調理って本当に簡単なものになる。そこに工夫はあったとしても、どちらかというとエネルギー摂取に近い。
一方で誰かと暮らしていたらそうでもないと思う。そして、現実がそうなっているのでやむを得ないが、多くの日本の家庭では、この負担が女性偏重になっている。同棲して、結婚して、子供が生まれて、また働いて。ずーっと長い間やってきた、この誰かのための調理。これって死ぬまでやらないといけないのだろうか?僕はそう思わない。気持ちが追い付かないし、体力だって追い付かない。そして胃袋だって小さくなる。
楽しむための料理、趣味としてのお菓子作りなら全然いいと思うが、やらなきゃいけないという義務感でやる調理にはゴールを設けてもいいと思う。なんのために料理キットなのか。
うちの実家は、割と母が自分の仕事の一環として料理を続けているから、ここはまだ定年を迎えていないっぽい。ただし、父が食べたいものではなく、自分が作りたいものにシフトしてきているらしく、ストレスフリーで楽しんでいるらしい。うん、そうじゃないとね。
老後を幸せに生きるには、仕事には定年を持たず、一方で調理には定年を設けよう。母との会話をきっかけに色々考えた。