HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

9月13日 きっかけであればいい

土曜日、

 

 

食べ物、匂い、風景。

自分の過去と今を繋いでいて、ふとした瞬間に過去の記憶を思い出させてくれるきっかけとなるものがある。僕の場合は多くの場合、それは音楽であることが多い。

毎日の習慣となっているApple Musicでの音楽視聴。頻繁に新しい音楽が追加されているから、ホーム画面に行くたびに僕をワクワクさせる。

それは今週の木曜日の話だった。いつもの通勤電車の中。本を読み始める前に、BGMとしての音楽を選ぶ。Apple Musicを開いて今日の更新を見た時、飛び込んできたタイトルに心がざわついた。

”映画『遺体 明日への十日間』オリジナル・サウンドトラック”

僕が大学生の頃に見た映画のサウンドトラックである。しかも、最後のエンドロールで大泣きしてしまったことを覚えている。それまで耐えてきたのだけど、音楽が切なくて、救いようのない気持ちを一気に放出させたのである。

これは東日本大震災にまつわる映画だ。ノンフィクションライターの石井光太さんが実際に現地を取材して記した本が原作になっている。岩手県釜石市の遺体安置所の様子を描いた作品だ。

とにかく遺体の数が多すぎて収容しきれないし、身元が不明の人も多くいる。そんな中で、ちゃんと遺族のもとに返してあげたいと遺体安置所で働く民生委員の人や、外見からは判断できないため、歯を検査して本人特定をするために派遣された歯科医師など、現地で奔走された人々の記録である。

映画の中でも出てくる発言だが、僕もこの映画を見た時に、「どうしてこんな僕が生きていて、こんな小さい子が死ななければいけなかったのか」と、どうしようもならない不甲斐なさが込上げてきたことを覚えている。

そして、この映画で感じたことをそのままにしないために、僕は被災地に訪れた。当時、留学が決まっていた僕は、正直金銭的にも時間的にも余裕があるわけではなかったが、行くしかないと思ったのだ。現地に行くきっかけをくれたのが、この映画であった。

震災からは2年半が経過していたけれど、まだ重い雰囲気が流れているのではないか、そう思っていた僕は、現地で迎えてくれた人達を見て、それが自分のおごりであったことに気が付いた。悲しみの面影はあるけれど、そこには普通の生活があり、みんな笑っていた。あえて選んだ民宿で出てきた家庭料理が、本当に素朴な普通の家庭料理で、お風呂もまるで合宿所のようなお風呂で、そこに広がる日常を見て、僕はなぜだか胸がいっぱいになってしまった。

臨時で作られた砂利の駐車場。取り壊し、建て直しがあちらこちらで行われている。木はあるけれど、森はない。風光明媚とは程遠い景色の中に、何の配慮もなく昇っては降りていく太陽。その、決して美しいとは言えない夕日と朝日を見た時、僕は初めて、ここで生きる人達と自分が地続きであることを覚えたのだ。被災地っていう地名はなくて、そこには僕が生まれ育った町と同じように市の名前がある。何も違わないって思った。きっかけをくれた映画に感謝したいと思った。

 

この映画の原作本を書いた石井光太さんは、有名なルポライターである。取材テーマもタイトルも過激で、それがゆえに批判にさらされることも多い。ご本人にも何かの取材で答えていたが、一部は脚色していると言っていた。つまり、表現に誇張があったりすうということだ。だから、煽っているんじゃないかと否定的な意見をぶつける人もいる。

立場や育った環境、経験してきた出来事が違う分だけ、人には異なる価値観があるから、一つの作品に対して批判的な視点を持つことは何のおかしいことでもないし、僕はむしろそういう多様性に寛容な立場である。だからこそ、僕は自分の意見を言いたい。少し過激だったとしても、僕は全然良いと思っている。なぜなら、それがきっけかで何かの行動を起こすことに繋がることもあると思うからだ、僕のように。

何事も興味を持つことから始まるわけだし、興味をもつためには何かのきっかけが必要である。刺激が強いものに僕らは敏感であるのだから、そこを見越した彼の戦略に僕は批判的な立場ではない。むしろ、それによって興味を持った人が行動を起こしてくれることを望んでいるんじゃないか、と思う。

 

ふと開いたApple Muisic。そこで偶然出会った音楽のタイトルが触媒となり、今の僕と記憶の中の過去の僕が繋がった。そこにいた過去の僕は、当時見た映画がきっかけとなり、現地に行くことができた。そこでの情景がきっかけとなり、被災地ではなく同じこの大地に生きる人、という平等な視点を持つことができた。

 

今日記した僕の文章が、誰かのきっかけになったら、これほど幸せなことはないだろう。