月曜日、

空気の重さが変わった。
暑いとか寒いとか、そういう気温がどうこうではなく、空気の密度が変わった気がする。軽くなったのだ。朝晩の変化が著しい。
日中暑いのは理解ができる。35度を超えることだって、そりゃああるだろう。ただ問題は、あまりにも暑いと夜も溜まった空気が留まっていることである。そのまま朝を迎えてしまい、湿気も、そして汚れも含んだ空気が滞留しているあの感じ。多くを含んだ分だけ、重くなる。それがそのまま僕の体にずっしり、べったりとのしかかってくるあの感じ。不快指数Maxである。
少しでも涼しさを求めて、どんどん起床時間が早くなる。でも、夜も走りたいとなると、その分だけ睡眠時間を削る必要が出てくる。悪循環の始まりだ。それでも体は動かしたい。汗を流さないことの方の気持ち悪さが勝って、どんなに暑くてもとりあえずランニングを続けてきた。
だからだろう。ここ何日間のランニングは、まるで景色が違って見えるほど快適である。同じ距離を走っていても、足の軽さが違う。呼吸の上がり具合が違う。空気の薄い環境で行うトレーニングがきついように、体への負荷がこんなに違うのかと改めて実感する。
ただ、もしこの酷暑の中でのランニングがなかったら、きっとこの時期のランニングも辛いと思ったことだろう。あのハードさに比べたら、アップダウンの激しいコースも、コンディションが良くない道路も、別にどうってことない。
少し目線が上がり、積極的に呼吸をしようと息を吸い込む。終わった後に、ぐっしょりまではいかないが、それなりに汗をかいている。そんな体にまた涼しい風がかかる。この気持ちよさが堪らないのである。
ランニングのことを書いているけれど、これは他のことにも当てはまる。
例えば、ついていない日。今日は朝からずっとついていない。何をしても空回りするし、失敗する。集中できないし、怒られる。そういう日って1年のうちに何回かあると思う。
でも、そういう日があるからこそ、何にもない平凡な一日がとても快適に感じられたりする。逆に、あまりに良いことばかり起きる日は、きっとその反動が来ると、僕はそう思ってしまう派だ。
ランニング民にとって、ここからの半年は待ちに待った気候になってくる。あと数か月も経てば、白い息を吐きながらランニングをするようになるのだろう。
そしてそのに思うのだ。早く暖かくならないかな、と。
そう考えると、四季がある国に生まれて良かったのかなぁと少し飛躍して考えたりする。
酷暑は本当に嫌だけれど、でも夏があってよかった。