金曜日、

私の朝は早い。なぜならランニングをするからだ。営業職から企画職に変わったタイミングで、運動不足解消のために始めたのがきっかけで、もう7年くらい続けている。
でも、実はランニングをする前から私の朝は早い。それは、会社に行く前に家の掃除をしていたからだ。窓を全部開けて、シーツ類をはがし洗濯機に入れる。パジャマも脱いで、洗濯機を回す。その間に掃除機をかけたり、トイレ掃除をしたり、朝ごはんの準備をしたりする。
こんな感じで、以前から朝起きてすぐにバタバタ動いていたから、朝のランニングを始めることもそこまで大きな負担ではなかった。むしろ、朝早く起きて何か活動をすることは僕にとっての当たり前だったのである。
料理や水回りの片づけも、僕にとっては当たり前だった。前職は食品メーカーだったから、営業職でもマーケ職でも調理をする機会が結構ある。その際に、肉や魚の下ごしらえや野菜の皮むきなどは言われなくてもやり、最期の片づけも排水溝まで綺麗にしていた。そして決して時間をかけず、ササっとやることが肝心だ。意識するよりも先に手が動く、という感じだった。
こういう、僕にとっての当たり前。でも、本当は当たり前じゃないのかもしれない。昨日Voicyを聞きながら、そんなことを感じていたと共に、こういうことを当たり前にしてくれた親に改めて感謝したいと思った。
パーソナリティである尾石晴さんが、夫の家事育児参加への変化を話題にあげていた。夫さんは元医者で、今はサバティカルタイムとして一時休業している。一方で、晴さんは博士課程に通う傍ら、自分の会社の仕事もあるからそれなりに忙しい。必然的に、夫さんの家事育児の参加率が増えていく。
時間的な制約もあり、夫さんがやるしかないという状態になっている中で、敢えて晴さんは手出しせず、困っていたとしても、そのまま夫にやらせ続けたという。その結果、待ちの姿勢ではなく、能動的に家事育児に取り組むようになり、冷蔵庫の食材があるかどうかを彼女に聞くのではなく、自ら確認して自分で買いに行ったり、自分で考えて行動するように変わってきたとのこと。
自分が当事者になったことで、どんどん変化していく彼を見て、やらせること、当事者になるということほど、その人を変えることはないと実感したとのことであった。
この話から、冒頭で書いたような僕の当たり前を連想したのだ。
朝のランニングが僕にとって当たり前に変わったように、家事や料理も間違いなく何かきっかけがあったと思う。今振り返って思うのは、そのきっかけをくれたのは母だったということだ。
僕が小1の時に離婚した母は、シングルマザーとして日中の仕事と夜の仕事を両方掛け持ちしていた。僕が朝起きた時、母はもう出かけようとしているか、夜勤明けで寝ているかが多かった。
雨戸を開ける。猫たちに餌を上げる。トイレを掃除する。ゴミをまとめておく。掃除機をかける。洗濯機を回して選択を干す。水やりをやる、などなど。こういう家事は基本的に、その日の朝に時間がある人がやっていた。親とか子とかそういうんじゃなくて、みんな同じ家族の一員として、出来る人がやるのだ。
帰ってくるのが一番早い人が、お米を研ぐし、風呂掃除をして風呂も沸かすし、雨戸も占めるし、晩御飯も作るし、水回りの掃除もやる。出来る人がやるのが当たり前。
その結果、いわゆるこういう家事と呼ばれる一連の仕事は、何も意識しなくても、どんなに眠くても、気づいたらやっているくらい僕にとっての当たり前になっていったのである。
シングルマザーになるという選択は、決して良いことばかりではないし、むしろマイナスのことも多いと思う。それこそ、当事者大変だ。けれど、その当事者の家族という、また別の側面での当事者になった僕は、結果として家事が当たり前になったのである。
大変なこともあったけど、むしろそういう環境に置いてくれた母に感謝したいと改めて思った。
プライベートでも、仕事でも、当事者になってみる、思い切って当事者にさせるということは、最初は辛いかもしれないけれど、最終的には良い結果に繋がるのかもしれない。