月曜日、

今日もVoicyを聞いていて、そこから着想して考えた僕の呟きである。
この1年くらい、AIについてのニュースを聞かない日は1日もない気がする。僕が今働いている会社も、分類するのであればITや通信に分類されることもあって、社内でのAI活用も非常に積極的である。Chat GPTやGoogleのGeminiとはまた別に、社内で専用のAIが開発されて、活用方法について毎日社内の掲示板に情報が上がっている。
とにもかくにもAIが注目されて久しい。AIの活用によって一番期待できるのは効率アップだろう。今まで時間をかけて取り組んでいたことが、AIなら大幅に時間短縮ができる。出てくるアウトプットも同等レベルかそれ以上である。素晴らしい。
例えば英語学習。この言葉何だっけ?とか、この言い回しってどういう風に言えばいいんだっけ?といった感じで、適切な英語が見つからないとき、これまでなら自分の頭からひねり出していた。それが今では、AIにぶち込めば、しっかりとニュアンスを意識した回答がスラスラと出てくる。もうAIがあれば、外国語学習なんていらないのでは?とさえ思ってしまう。
ただ、特に学習においては、自分の頭で考えたり、一回自分なりに回答を出してみる、みたいなことをやらないと定着には繋がらないと思っている。というよりも、効率的にササっと片付けたことは、同じようにササっと頭の中から消えてしまう気がするのだ。
もう一つ例を出してみるとすれば、音楽かもしれない。歌も楽器も、効率良く習得するの対局にあるものだと思う。これは芸術全てがそうだと思うけれど、ここまでやれば良いという明確なゴールがないからだ。突き詰めようと思えばとことんできるし、これでいいやってなればそこで試合終了。これを分けるのは、特に芸術分野については、自分の好き嫌い。これに尽きると思う。
好きの領域になっていくには、必ずその前段階で苦悩の段階があると思う。特に、芸術系はとにかく体と脳で感覚を覚えていく必要がある。その最中は、本当にしんどい。やってもやっても全然成功しない。でも、次の日になると、やっぱり自分の頭の中には音楽が鳴っていて、ああ練習したいって自然と思う。これが繰り返されることで、ある時、本当に突然に好きの領域に入っていく。芸術にゴールがないのは、これが繰り替えされるということだ。一回目の好きの後には、2回目の苦しみがやってくる。そしてその先に二回目の好きがやってくる。
こういうサイクルの中に効率なんて言葉は存在しない。というより、やっぱり根底では音楽が好きだから、効率よくパパっと片付けたいなんて思っていないのだ。音楽を始めとする芸術は、こうやって体得していくから、幼少期から長く続けていることが重要と言われるのだと思う。そして、長く積み上げていった先に成果が出るような仕組みになっているのだ。
時間をかけて、好きと嫌い、挫折と成功を繰り返しながら、最後に成果にたどり着く。まるで物語のような時間の流れではないだろうか。
と、ここまで書いていて思った。AIに代表される効率性重視の考え方は、私たちから物語を奪うのかもしれない。
映画も漫画も小説も。物事が効率よく、パッパッパッと次々に進んでいったら、物語としての価値は低いと言えるだろう。私たちの人生も同じで、ずっと効率性重視でスマートにこなしていく人生って、確かにその渦中はストレスなく過ごせるかもしれない。でも、自分が死ぬときに振り返ってみると、モノトーンな人生だったな、、、と思って愕然としないだろうか。
もちろん取捨選択だとは思うから、何から何まで効率重視する/しない、という話ではないのだけれど。ただ、効率だけを大切にすると、あとで振り返った時に何も積み上げられていない、何も習得できていない、そして何も残っていないという、サラサラな人生になりかねない、という危機感は持っておいた方がいいと思う。