HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

11月29日 ポストイット

土曜日、

 

 

なるほど、そういう風に考えれば、もっと気楽に人とコミュニケーションが取れるかもしれない。今日は、そんな新たな学びについてシェアしたいと思う。

毎回御馴染み、Voicyを聞いていて学んだこと、感じたことの共有である。このブログでも度々紹介していた荒木博行さん、彼の放送を通じて学んだことだ。

今回はゲストを交えた対談回。荒木さんの番組のリスナーさんが、荒木さんに相談をもちかけるコンテンツとなっている。今回の相談は「偏見はなくならないのでしょうか」という問いである。これまた深い問いだ。

この相談に対して、私が最初に思った答えは「なくならない」である。というのも、毎日偏見の繰り返しだからだと思うからだ。

偏見という言葉を辞書で引いてみると、客観的な根拠がないのに、特定の集団や個人に対して予め持っている「こうだろう」という、誤った見方や考え方、という風に説明されている。

街を歩いていれば、色々な人を見かける。日本人、外国人、背の高い人、太っている人、男性、女性、メガネの人。本当に色々な人がいる。ふとした瞬間にパッと自分の視界に入った瞬間、その人たちが発している声を聞いたりするとき、直感的にその人のイメージというのが脳内に出来上がるイメージがある。とてもボヤっとした輪郭ではあるけれど、何かしらの像が浮かび上がっている感覚がある。この時、毎回落ち着いて客観的な判断なんかしていなくて、直感的にそういうイメージが出来上がるのだ。

その輪郭の明瞭さは、その人の特徴とこれまでの自分の学びやエピソードがどれだけ関連づけられるか、によるものだと思う。パッパッパッ、という形で像が作られていくわけだから、過去に強く抱いた記憶が優先的に引っ張りだされてくる、そんな感じだろうか。

だから、偏見は絶対になくならないと思う。ただ、偏見はアップデートできる、というのが今回の学びだ。放送の中では、ポストイットという言葉で説明されていた。

直感的に抱いたそのイメージ、もしアロンアルファのような接着剤で貼りつけてしまうと、もう剥がすことはできない。ずっとそのイメージが貼りつけられたままである。一方で、そのイメージはポストイットのようなものであると考えてみたらどうだろう。

つまり、取り外し可能なのだ。最初に抱いた偏見、そのイメージを接着剤でその人にべっとり貼り付けるんじゃなくて、とりあえずの印象としてポストイットでくっつけておくイメージだ。次にその人に会った時、最初に抱いた印象と違うとなれば、ポストイットならすぐに取り外せる。こういうイメージを常にもっていれば、最初に抱いた偏見にずっと縛られることもなければ、偏見を抱いても後でアップデートできるし、という感じでもっと気楽でいられる気がする。

偏見を持つことは、むしろ当たり前。でもその偏見は、毎回毎回アップデートしていけると考えれば、次に会う時が楽しみになるし、新しい人や集団に遭遇することも別に怖くなくなる、そう感じた。