日曜日、

朝井リョウさんの『生殖記』を読了した。この分厚さだったが、文章を読み進めるたびに共感が溢れてきて、止めることができなかった。朝井さん自身はヘテロセクシュアルと呼ばれる、いわゆる性的マジョリティの側であるはずなのに、性的マイノリティの人の思考について、なんでここまで分かるんだろうと、逆にぞっとしたくらいだ。
僕は女性に対しても、男性に対しても特に恋愛感情を抱かない。多分、今の言葉でいうと、アセクシュアルに該当すると思う。この本の主人公はゲイだけれど、多くの部分で共感することができた。
性的マイノリティと一括りに言っても、その中でもグラデーションがある。この本の中では、主人公のゲイ男性と、かつての会社の後輩であるもう一人のゲイ男性が出てくる。同じゲイ男性だったとしても、二人は対極にある。主人公は無気力、無関心であるのに対し、もう一人のゲイ男性はアクティビストのような、いわゆるレインボーパレードなどで権利を主張しちゃうような活動的な方だ。
僕は断然主人公の方に共感する。というのも、同僚から頻繁に言われる言葉として「ねぇ、興味ないでしょ?」と言われるからだ。
興味がない、というのは確かにあるかもしれないけど、違うんだよなぁ。正確に答えるとしたら、分からないのだ。
人がつがいになって交流する中で、相手を愛おしいと思う気持ちや、逆にすれ違いがあって悩む気持ち。こういうトピックに対して、僕は分からないのだ。
世の中で話題になっているお出かけスポットやイベント、30代にもなればこういう所に出かけるのは大抵カップルや夫婦という感じだろう。そういう話題になったとしても、なぜそういう所に行きたいと思うのか、なぜ2人で行きたいと思うのか、それが分からないのだ。
話題のスポット、恋人との関係性の悩み、季節のイベント、こういった物事が発生する世界の外側に自分がいる気がする。そして、僕は昔から嘘がつけない性格、というかすぐに顔に出てしまう性格だから、相手にもすぐ悟られてしまう。だから、この本の主人公がそうであったように、僕はいわゆる雑談というのが苦手なのだ。話を合わせることは全然できるけれど、あくまで合わせているだけであって、その分ストレスが溜まる。だから土日くらいは一人でいたい、というのも、この本の主人公と同じかもしれない。
1人の時間をどうやって過ごすか、今はもう悩んでないけれど、コロナの前くらいまでは確かに僕も悩んでいた。そして、これもそうなのだが、コロナは僕にとって都合が良かった。このままずっとこうなら、どれだけ楽だろうって思っていたりした。
声を上げる人もいれば上げない人もいる。声を上げない人がどう考えているのか、そこを深い洞察で表現していくことは極めて難しいはずだ。
僕はこの本を読んで、朝井さんの視点、考え方に脱帽であった。次の本も楽しみである。