日曜日、

ただ聞くこと、ただ待つこと。一見すると受動的だと思われるかもしれないけど、実はこれが難しいのかもしれない。そして、”話す”ことよりも”聞く・待つ”が上手にできる人ほど、実は求められているのかもしれない、そんな風に感じた。
ここ最近のVoicyを聞いていて、幾人かのパーソナリティの人が同じようなことを話していた。それは、話を聞くことや、順番を待つことについてである。
例えば聞くということについて。
僕らは誰かの話を聞いている時に、一生懸命に聞こうとすればするほど、そこからしっかり解釈して自分の意見を持たなければいけないと思いがちだと思う。そういう状態の時、僕らは「聞く」ではなく「聴く」状態になっている。言い方を変えると傾聴だ。しっかりと話を聴いている状態。これはこれで大事ではあるけれど、果たしてそれが本当に相手に求められていることなのだろうか。
自分が話をする立場になった時、もしくは自分が何かを伝えたい時、ただ話を聞いてほしいという風に思う時はないだろうか。別に意見とかアドバイスが欲しいわけじゃなくて、話を聞いてほしいだけ。ただ、この時に心配になるのは沈黙である。相手はただ話を聞いているだけなので、その後特にリアクションはないかもしれない。でも、この沈黙や間も大丈夫だと、どっしり構えていられる人ほどコミュニケーション能力がある人なんだろうなと思う。僕は正直、間が怖くて、この後どう返そうかと考えてしまう方である。
そして待つということについて。
誰かが話をしている時には、自分はそっと待って様子を伺うに徹すること。周りを配慮して、それから自分の話をし始めることって、これも簡単そうに見えるけれど、決して簡単なことではない。
幼い時はみんな、私が私が!という感じで自己主張が激しいけれど、実は大人になってもこのスタイルのままの人って結構多いと思う。それが悪いというわけではないし、むしろ起業家とかリーダーとかは、こっちの資質を持っていた方が良いのかもしれない。でも、全員がそんな感じだったら、会社も、そしてこの社会も成立しなくなってしまう。だから、ちゃんと相手の事を考えて待てるという性質も、とても大切だと思う。
改めてコミュニケーション能力について考えてみる。ソフトスキルと呼ばれるこの能力に対して、「陽キャ」とか「人と話すのがうまい」とか、そういう一側面のイメージがついてしまっていると思うけど、本当はその逆もあるんだと改めて思う。就職に時に受ける性格適正診断、人事評価のコンピテンシー、こういうもので見られるのも、割とこの陽キャ的な要素だと思う。でも、こういう人がその能力を発揮できるのは、ただ聞くことができる人、ちゃんと待てる人が存在しているからこそ。こういう人たちこそ、相手のことを考えて自分の取るべきスタンスを考えることができる人。つまりコミュニケーション能力が高いと、そう言ってもいいのではないか。
あらためて、コミュニケーションとは何なのか、考えてみたいと思った。