HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

1月11日 1/365

日曜日、

 

 

何かの節目に外圧的に目標を持たされること、抱負を語ること、こういうことに意味がないと思ってしまう。

つい先日やってきた元旦、そして明日は成人の日。何もしなくても毎年やってくるこのタイミングに合わせて、今年1年の目標とか大人としての目標とか、そういう目標設定・豊富を語るみたいなものを求められると、またそういう人々を見ると萎えてしまう。

分かっている、ひねくれているということは。ただ、図らずも同じように思っている人を発見した。いつも聞いているVoicyの番組の1つ、荒木博行のブックカフェのパーソナリティである荒木さんだ。おおお、共感しかないと思って驚いた。

荒木さんは今年、かなりバタバタの年末年始を送っていたという。次男君がラグビーの全国大会である花園に選手として参加するため、年末からずっと大阪に滞在しているのである。今年初出場ということもあって、選手も親御さんもバタバタなのだろう。それでも、365日毎日欠かさず放送をしている荒木さん。その1月1日分の放送で、新年だからと言って何か抱負を言うとか、そういうのは本当に好きじゃないと話していた。別に、儀式としてそういうものが存在するのは良いのだけれど、儀式に過ぎないと、ちゃんと割り切るべきである、と。

理由は、僕が冒頭に述べた通り、1月1日というのは、何もしなくても毎年勝手にやってくる日であって、そのタイミングに合わせて目標をこね繰り出すことに、何の意味があるのか、ということである。

非常に納得である。

目標とか抱負って、こういう外側の要因に影響されて決めたとしても全く意味がないと、僕も思っている。どちらかというと、何か自分個人に出来事があって、「変わりたい」とか「これを目指したい」とか、そういう内発的な衝動や感情が露呈したときでないと、全く意味がないと思う。

どうせ、また来年の1月1日になったら、前年の1月1日に立てた目標なんて形骸化しているはずだ。だから、儀式としてそういうのを設けるのは良いけれど、全然本質的ではないということは理解しておくべきである。

元旦だけではない、入学式とか、会社の期初とかそういうタイミングもそうだ。別に自分個人に何か変化があって、こう変わりたい!と思ったわけではない。だから、そこで立てる目標に意味があるのか、というと僕はないと思う。

会社で働いている以上、目標設定というものを強制的にやらされるが、僕はこれが本当に嫌いだ。理由は、上記の通り。ひねり出した目標であり、本当にそれを達成したいというモチベーションがあるかというと、ほぼないからだ。日系企業で働いていれば、仮に目標に到達しなかったとしても、解雇されることもないし、それでも着実に基本給は上がっていくわけだし。

強制的に設定することも時には大事かもしれないが、これはあくまで強制的に考えたこと、ということを自覚しておいた方が良い。

元旦だって、成人の日だって、4月1日だって、毎年勝手にやってくる1日/365日に過ぎないのだ。だから、むしろこういう日を特別なものとして捉えるのではなく、他の364日と同じように淡々と生きていく方が、僕は健全だと思う。

そして勝手にやってこない、内発的に生じたきっかけがあれば、その時に目標を立てよう。その目標はきっと意味があるものだし、達成したら大きな達成感と成長が待っていると思うから。