日曜日、

短歌がいい。こんなに心にスーッと入ってくるなんて期待していなかった。
たしか、コロナ禍で一時短歌が流行ったことを覚えている。
岡本真帆さんの著書『水上バス 浅草行き』(2022年 ナナロク社)は、ラジオやポッドキャスト界隈で沢山紹介されていた記憶がある。でもその時の僕には、短歌は全然響かなかった。どちらかというと、文章に溺れたい願望があって、上中下巻がある小説だったり、ノンフィクションや生活史みたいな本を好んで読んでいた。
近内悠太さんの『世界は贈与でできている』や、戸谷洋志さんの『友情を哲学する』、そして谷川嘉浩さんの『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』みたいな最近になって有名になり始めた若い哲学者たちの本が好きだった。哲学的視点で世の中の事象や日々を観察する、それくらいしっかりと物事を考える余裕があったのだ。
それが、ここ最近はどうだろう。小難しい本を読んでいると、電車の中でもお風呂の中でも、5分も経たずに眠ってしまう。当時と比べたら睡眠時間が足らないということもあるけれど、それよりも脳内が仕事のタスクに支配されていて、時間をかけて深く味わう・考えるという余裕がなくなってしまっているのだ。
そんな自分への危機感から、一世風靡した三宅香帆さんの著作『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を手に取った。”半身で働く”というフレーズは、今も僕の頭に残っている。そりゃあ100%の力で働いていたら、本を読む体力も気力もなくなってしまう。彼女の主張に僕は激しく同感し、三宅さんの洞察力に感動を覚えた。ただ、彼女の本がずっと記憶に残っているのは、主張に共感したということだけが理由ではない。彼女の文体自体が水のように滑らかなのである。このスルスルと流れるような文章の秘密を探るべく、彼女のもう一つの著書『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』を購入。年末年始の読書のお供とした。
そこで彼女が紹介していた作品の1つが、木下龍也さんの著書『あなたのための短歌集』であり、その中の一つの作品を読んで、私の心が一瞬で瓦解したのである。
この本は、読者からもらったお題に対して、木下さんが短歌を詠むというものであった。そのお題と短歌がこれだ。情熱体力でも放送していたみたいだから、知っている人も多いだろう。
お題:まっすぐ生きたい。それだけを願っているのに、なかなかそうできません。まっすぐに生きられる短歌をお願いします。
短歌:「まっすぐ」の 文字のどれもが持っている カーブが日々にあったっていい
な、な、な、なんだこれは。
たった31文字なのに、僕がくらった衝撃は、その10倍100倍いやそれ以上のものだった。まっすぐ生きたい、本当にそう思っている。イライラすることが多くて、分かっちゃいるんだけど、ひねくれてしまう。アドバイスをもらっても、うるさいなと思って、それをそのまままっすぐに受け入れることが難しい。いっつも湾曲してしまっている。カーブの連続だ。でも、ちょっと考えてみて。「まっすぐ」っていう文字は、この4文字全てがカーブを持っている。まっすぐに見えても、一個一個は屈折していて曲がっている。きっと、すごい遠くから見たら、それは一本の線に見えるのかもしれない。だから、淡々と過ぎる毎日その一日一日は、まがりくねりがあって当たり前なんだ。1,000日後、10,000日後に後ろを振り返ってみたら、遠い向こうに、もうほとんど見えないくらい所にある出発地点と、その時に自分がいる地点とを結ぶ轍は、きっとまっすぐに見えるんだろう。だから、まがりくねっているのが当たり前なんだよ。
そう言われているような気がして、電車の中で読んでいた時に、この短歌から目が離せなくなってしまった。
こ、こ、これは。僕はすぐに本屋に走った。この短歌集が欲しい!しかし、最寄りのBook1stには販売されていなかった。
苦しい。今の僕に必要なのは、この31文字なのに。ああ、こんな美しく元気をもらえるような短歌集が販売されていないなんて、、、。
短歌集が置いてある書店の近くに住みたい、強く願った。
オチがそれかよ、と思われるかもしれないが、それくらいがちょうどいいのだ。Take it easy。気楽にいこう。