日曜日、

今日は、医療脱毛の契約を通して考えたことを書きたい。
僕は、もともとはかなり体毛が多いタイプ。体だけではなくて、髪の毛もそう。だから、30歳を過ぎた今、逆に髪の毛については周りからかなり羨ましがられる。月に1度は美容院に行かないと、長さは伸びていなくても、髪の毛の量が多くなってしまい大変なのである。毎回パーマをかけているのも、髪の毛を傷めるため。どんなに傷めても、強くしなやかな髪がしっかり生えてくる。
髪の毛ならまだ耐えられる。でも、髭や脚はそうもいかない。僕が社会人になった時は、まだ男性の脱毛は珍しかったけど、数年前からかなり流行っていると感じている。僕も、今の会社に入社してから割とすぐのタイミングで、まず髭からスタートしている。ゆるゆるとスタートして、途中一回は休憩をはさみながら、まだ通い続けている。昨日は、新規契約の更新をするかどうか、のタイミングだった。
実は2月から価格改定があり、かなり金額が上がってしまったのである。これはどうしたものか・・・と思ったけれど、結局あとで後悔することが目に見えているし、中途解約で80%返ってくるし、ということで契約をしてしまった。これからまた夏になって露出が増えるし、医療脱毛は美容脱毛とは違ってほぼ永久脱毛に近いから、まあ将来のことを考えたらコスパは良いと思う。なんて、自分に言い聞かせながら帰路についた。
家に帰って契約書のコピーを片付けている時、初めて脱毛を始めた時の契約書を偶然見つけた。今日結んだ契約金額よりも、全然小さい額なのだけれど、「こんなに一気にお金を使って本当にいいのだろうか、しかも脱毛に」と、当時かなり悩んだ記憶が蘇ってきた。
あれからもうすぐ4年が経過しようとしている。新卒で入社した会社で6年かかった中間管理職のポジションに、今の会社では1年半で到達してしまった。そして、かなりホワイトだった食品メーカーから、変化著しく次々と新しい取組を始めるIT企業に転職したことで、残業時間が4,5倍になっている。そのおかげ、と言っていいのかはわからないが、前職と比べて大幅に年収が増えている。
金銭的な余裕を得たことによって、この脱毛を始め、大金を使うことに対しての自分の中の基準が下がっている。例えばファッション。現職はIT企業のマーケターだから、スーツを着る機会が1年に1回あるかないか。逆に毎日私服通勤だから、ファッションに気を遣うようになった。これまでは、土日しか私服は着なかったところが、今は毎日である。購入数も頻度も増えたことで、オンラインで洋服を買うようになった。最初は躊躇があったけれど、一回買ってしまうと、もう何の抵抗もない。手元に届いたものが、想像と違っていたとしても、返品できるし、メルカリで売ればいいし、と、そんな風に考えるようになっているのである。
自分のお財布事情が変わったことで生活が変わったことは確かだ。
一方で、同時に失ったものも計り知れない。
まず時間。もう当たり前になってしまって何も思わないのだけれど、平日は9時半から22時レベルでオフィスにおり、代理店とやり取りが続くときはその後も家で作業を続ける。中間管理職として、日中はほとんど会議や1on1で埋まっているから、自分がリードするプロジェクトや会議資料は19時以降にならないと手が付けられない。もちろん、土日・祝日はやり残した仕事をする。
そう、まず失ったもの、それは時間である。そして次に趣味だ。この、文章を書くという行為は趣味というよりも、もはや自分の心のリハビリみたいになっているから、趣味ではない。ピアノにサックスに中国語教室に。いま、どれも行けていない。これらの代わりに、脱毛、筋トレ、ファッションに時間もコストも割くようになっている。全部自分の見た目に関することで、他者と何かを共有したり楽しんだりするものではない。そう、失ったものは他者との繋がりである。
正直、僕は一人が好きだ。社会人になった瞬間から、土日は絶対に一人で過ごしたいと強く感じていた。だから平日元気で居られるのである。でも、会社ではない他の何かでだれかと繋がる趣味、勉強、こういったものを今の会社に入って失ってしまった。
そして、その結果気づいたこと。目的を失いかけている。仕事を除いたら、自分は何のために生きているんだろう。ありがたいことに、会社では求められる存在であるし、手持無沙汰になることは、まずない。常に仕事があり、何かとつけて声をかけてもらえる。でも、この存在がなくなったら、僕に何が残るのだろう。見た目の綺麗さ?お金?これは、僕が求めていたものなのだろうか。
夜の東京タワー、品川の高層ビル群、こういったものを見るたびに、瞳ではなく心から涙が溢れてきそうな感覚に襲われる。それは、美しいなというポジティブな感想というよりかは、この周縁には僕と同じように感じている人がきっといるんだろうな、という共感と寂しさから来るものである。
僕が求めていたものは、こういうものだったと言えばそれはそう。ただ、本当にそうなのかと思うと、まだ答えはでない。言えることは、32歳の今、もう少し考える時間を持つことが大切なのかもしれない、ということ。
もうすぐ春がやってくる。いま、考えたい。