火曜日、

30代に入り年を取ったのか、どうも涙腺が緩くなっている気がする。昨日も筋トレをしている最中に偶然見た、フィギュアスケート男子の鍵山優真選手の演技を見て、思わず涙がこぼれてしまったのだ。納得のいく演技が出来なかったミラノ・コルテナオリンピックがあったからこそ、圧巻のフリースタイルの演技は多くの聴衆を感動の渦に巻き込んだに違いない。りくりゅうペアのフリーの演技もそうだし、ちょっと振り返ってみると浅田真央選手のソチオリンピックのフリー演技もそうだけれど、ショートがうまくいかなかった状態で、見事なフリーでの完璧な演技を見せる、この精神性の強さに屈服してしまう。
彼らはどうやってこういう精神性を身に着けたのだろう。ふと疑問に思った。もっと遡って見れば、うまくいかないこと、結果が出ないことが沢山ある競技人生の中で、どのようにモチベーションを維持していたのだろう。僕が昨日書いたように、「こうなりたい」という明確な目標があると、僕らは頑張ることが出来るのだと思う。その結果、目標を達成できるのだ。ただ、「頑張っていればいつかは報われる」と、このように信じて頑張り続けることは、決して当の本人だけの力ではないと思った。
改めてそう思ったのは、上野千鶴子さんの言葉をたまたまSNSで見かけたからである。東大の入学式で新入生に対して贈った祝辞の言葉である。
”あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。(省略)がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。”
目標を持つことは大切だ。ただそれ以上に、どうして目標を持つことが大切なのか、どうして頑張ることが大切なのか、努力をすることがどうして大切なのか、そういうことを間接的に肯定してくれた環境があったから、そう思えているのである。間違えたり失敗をしても愛を持って叱ってくれる、受け止めてくれる、成功したら自分の事のように心から褒めてくれる、そういう人が周りに沢山いるという環境があるからこそ、頑張ることに価値を見出せるのである。
傾向的な話かもしれないが、毎日生き抜くことに精いっぱいな環境で、とにかく日々忙しく殺伐としているような家庭では、そういう環境は期待できないだろう。東大生の多くの家庭が富裕層に属しているということからも納得ができる。
フィギュアスケートみたいなスポーツもそうだ。そもそもスポーツを始める環境、それを続けることを肯定してくれる環境、スポーツ最優先で生きても大丈夫な環境、これがない限り努力は出来ない。
音楽もそうだ。そもそものベースとして経済的な余裕がなければ継続することは難しい。本格的に目指そうとしたら、複数の先生につくだけじゃなく、ピアノ、ソルフェ、楽典、CDを出すにもほとんど自費が多い。それでも美しい音楽を目指し続けることが出来る環境がなければ挫折してしまう。
東大クラスの秀才も、オリンピックに出るスポーツ選手も、有名な芸術家も、みんな共通して努力していることに変わりはない。ただ、そこには努力をし続けることができる素地があるということを、我々は決して忘れてはいけない。
だから、自分のためだけに頑張り続ける、追求し続けるのではなく、今度は贈与としてその環境づくりに貢献しなければいけないと思う。
歳を取っていくにつれて、そうやって環境づくりに還元できる人になっていきたい。