土曜日、
年末年始の休暇が終わって最初の1週間。通常運行に戻すための調整期間として活用した人も多いのではないだろうか。
本屋の料理本コーナーに立ち寄ると、12月から年明けにかけて見られたような、「ごちそう」「ご褒美」「おせち」「パーティー」みたいなキーワードが入ったレシピ本が見られなくなったのと同時に、バレンタインに加えて、「作り置き」や「時短」のようなタイトルがついた本たちが、再び平積みされていた。
今日、敢えてこのコーナーに立ち寄ったのは理由がある。
それは、今読んでいる桃山商事の清田隆之さんの本、『戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ』に興味深いことが書かれていたからだ。
ふだん向け料理をまとめたレシピ本。この中で紹介されている料理のタイトルに、やたらと多いのが、「夫も喜ぶ」「夫に褒められた」「息子が喜ぶ」みたいなフレーズである。特にブログや雑誌に掲載していたものを書籍化したようなレシピ本でこの傾向が高い。
なんでここに、「妻が喜ぶ」とか、「娘の食が進む」みたいな女性を主体としたフレーズが出てこないんだろう。
逆に女性に対して与えられている表現としては、「不器用な私でも」とか「ずぼらママにおすすめ」とか、やたらと卑下するようなものが多いのだ。不思議なのは、こういう本の方が売れている。
逆に著者が男性の場合は、こういうワードが一切入ってこない。むしろ、まるでエンタメ要素が豊富に含まれた料理が沢山紹介されている。もこみちの料理本とか、その典型例だと思う。勝負ディナーは手作りでみたいなところでは、「これで女性を落とせる」とか、やっぱり男性が上、女性が下、みたいなそういう表現が多い。
不思議だ。こういうレシピ本が売れているのも、不思議だ。
女性にとっての料理が、日々忙しい中でこなさなければいけないタスクなのに対して、男性にとっての料理が、趣味の一つ、エンタメの一つとして捉えられている。
さらに、女性が作る料理は、男性からそれによって認められること(夫に褒められた、とか)で存在意義を得ているのに対して、男性のそれは自分のためのものが多い。
男女平等とかが叫ばれて久しいけれど、まだまだ全然そうなっていない、というのが見えてしまう。しかも怖いのは、こういう本が売れるということ=その不均衡に無自覚であるということである。
自分はズボラです、みたいに女性が自分自身を卑下することなく、堂々とレシピ本が欠けるようになる日が来るためには、男性が変わらないといけないんだろうな。
というか、そもそもこういう風に、女性が、とか、男性が、とかそういう視点が、本来平等である料理に与えられてしまうこと自体が、料理とジェンダー問題が深く関係していることの表れなのかもしれない。