HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

3月7日 川の字になって寝ること

火曜日、

 

今日は朝からびっくりするくらい暖かかった。こういう時は、着ていく服装が本当に難しい。今務めている会社は、服に関するルールは一切ないから、冬はパーカーやスウェット、夏はTシャツにサンダルでも全然OK。だから、洋服に拘りがある人は、徹底的にオシャレができるし、その真逆もある。僕は、どちらかというと仕事のしやすさ、快適さ重視だから、だいたい無地の1サイズ大き目の洋服を着ていく。

だから、本当なら気温が高くても特に着ていく服装には困らないのだけど、今日ちょっとだけ考えたのは、今日から新しいメンバーを迎えることになっていたからだ。しかも、僕が一応メンターということになる、とのこと。第一印象は結構大事だし、でもあんまり肩ひじ張っていたくないし、、、

 

結局電車を2本逃して、9時になる20秒前くらいに打刻する時間で到着した。

 

新しく入ってくるメンバーは、22年新卒の女性だ。つまり、まだまだこの会社での勤務歴も社会人歴も浅いのである。そんなとても吸収力が高いタイミングで、会社に入ってまだ半年の自分がメンターになって良いものなのかと、結構葛藤があった。

 

もし自分が彼女の立場で、指導係が転職してきて半年の人間だったらどう思うだろう。やっぱり不安だと思う。慢性的な人手不足だからやむを得ないのかもしれないけど、まるで突貫工事のような役割配置は、どこかでねじがゆるんで倒壊すると思う。この体制、長くは続かないだろうな、なんてちょっと生意気にも考えた。それくらい、納得がいっていなかった。

 

実際に1on1をやってみて、更に自分でよいのかと混乱した。どちらかというと消極的で、かつマーケティングの知識やSQLも触ったことがないとのことで。不安は募るばかりだ。

ただ同時に「なんで自分がメンターなんだ」と考えれば考えるほど、単純にまだまだ自分が一番下でいたいという甘えなのかもしれないとも感じ始めた。

 

マネジメントに全く興味がない自分にとっては、とても貴重な体験になるのではないか。結婚にも今のところ全く興味がないし、こんな風に誰かに寄り添ってあげる経験なんて、今後できないかもしれないし。そんなことを考えていたら、この前読んだ荒井祐樹さんの『まとまらない言葉を生きる』の中で紹介されていたエピソードが頭によみがえってきた。

 

今よりもだいぶ前、まだ日本が第二次世界大戦の真っ只中にあった頃は、障がいを持つ方々は、隔離収容施設のようなところに押し込まれていた。それにも関わらず、何も生産しないのに米だけ食う米くい虫だ、みたいに罵られていたそうだ。そして障害を持つ人以外にも、つい最近まで法律によって隔離されていたライ病患者の方々も同様に差別を受けていた。

 

その中の一人の方で、幼少期からライ病患者として隔離施設に収容されてしまったために、まともに教育を受けてこなかった人の話が紹介されていた。彼は、隔離施設で、同様に隔離されていた大人の方から勉強を教わり、たくさん本も読んで博識な大人に成長していた。ただ、本を読んでも、辞書を引いても分からない言葉があった。

 

「川の字になって寝る」とは。

 

僕はこの一節を読んでいた時、本当に涙が止まらなかった。私たちにとってはごくごく普通である何気ない日常の風景なのだが、幼少期から隔離されて育った彼にとっては、これが何を意味しているのか想像が出来ないのだ。誰かに寄り添われる経験がなかったから、川の字になってあげることもできない。

 

この話を思い出して、寄り添えるっていう機会をもらえたことに感謝したいと強く思った。明日から、もっとちゃんと寄り添ってあげよう。

 

おやすみ