HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

8月22日 「まあいっか」の精神 

火曜日、
 

 
久々のオフィスでの勤務。コロナになってから、10日間は自主隔離、その後すぐにお盆休み、お盆明けもコロナが蔓延していたため、先週までは基本在宅の指示。毎週月曜日は在宅勤務のため、昨日は在宅。
ということで、久々のオフィス勤務。
 
まず、いつも僕が座っている席に、知らない人が座っていて、「おっ」となる。
うちの会社はフリーアドレスを取っているから、基本的にはどこに座ってもOKなのだが、大体は同じチームのメンバーで固まって座るようになり、自然と席が固定されていく。
だから、余計に驚く。
いつもとは違う席に座り、右隣も左隣も、話したことがない人だと何だかソワソワ。どうしても気になってしまって、仕事に集中ができない。
 
明日からは、また、もともと座っていた席に戻ろうと思ってはいるのだけれど、それは同時に、僕が居ない間にその席をずっと座っていた人を困らせることになるのだ。
 
フリーアドレスだから、基本早い者勝ち。そこに、良いも悪いもない。なのに、こんなに気にしてしまうのはなぜだろう。
 
他人を異常に意識してしまう、というのは、他人からよく見られたいという意識の裏返しだと思う。確かに、僕はその気質がある。もう少し丁寧に言うと、他人から悪く見られたくない、というマイナス地点からスタートする思考なのだ。
というのも、以前書いた通り、僕は学生の頃、相当太っていて、いつも他人の目線が気になっていた。他人の目線=「あの子、太り過ぎじゃない?」という陰口だ。
だから、他人は自分のことを悪く思っているという、デフォルトがマイナスからのスタートなのだ。
悪いように思われないためには、周りよりも良い風に思われる必要がある。
そんな無駄な自意識によって、無理に良く振舞おうとしてしまう。だから、周りを意識しすぎてしまうのだ。
 
今日は本当に集中できなかった。
 
そんな落ち込む帰り道、たまたま出会ったこの本、野本響子さんの『東南アジア式「まあいっか」で楽に生きる本」を読み始めた。
 
まだ前半しか読み終えていないけれど、なんだか実感を伴って納得できることが沢山あった。考えてみれば、僕も東南アジアに住んでいた時、周りを気にして行動する、ということはほとんどなかったように思える。
厳密に言うと、周りの目線を気にしているほど余裕もないし、生活が整っていない分、気にしていたらやっていけないのである。
 
当分の間は、僕はまだ日本にいるわけで、この本をバッグに忍ばせて過ごしていきたいと思った。