土曜日、
いつも聞いているVoicyの番組「荒木博行の book cafe」。今日聞いた放送は、リスナーの方からも相談に対する荒木マスターの回答をお届けする回だった。
その相談者の方は、先日小6の息子さんと一緒に富士山に登山に行ったとのこと。しかし、準備不足が祟って高山病になってしまい登頂することができなかったそうだ。
これ以降、息子さんが色々と自信を失ってしまって、特に登山についてはもう一生やらないと豪語しているとのこと。
これに対して、父親である自分のプランニングも足らなかったのではという反省から、どうにか息子に対してもう一度登山の良さや意義を伝えて、何とかもう一度一緒に登山に行くようにしたいと考えているが、これは果たして正しい行為なのか、という相談だった。
深い。
荒木マスターはこの相談にたいして、完全にこれは親のエゴだと切り捨てた。
その点は僕も納得である。自分にも少しでも非があると感じている時って、どうにか自分自身のミスも穴埋めしたくて、色々と手を出してしまう。でも、それが本当に第三者のためになっているのか、と言うとそうではない時が結構あると思う。
それに、もしこの息子さんが感受性が強い子供だったら、「父親がここまで説得してくれてるし、言うこと聞かないと申し訳ないな」と思ってしまうかもしれない。
これは一番あってはいけないことだと思う。感受性の強さを利用した詐欺だ。
これって、営業スキル(というか裏技)としても存在していると思っていて、大したことは特にやっておらず当たり前のことをやっているだけなのに、夜遅くに連絡をしたり、土日に稼働していることを伝える営業スタイルだ。
夜遅くになってしまうくらい、土日に手を回さなくてはいけなくなるくらい、平日の日中の仕事が生産的でないことを意味しているのだが、感受性が強く真面目で素直な人からすると、こういう営業の態度は響くのだろう。提案内容は酷いが姿勢で採用する、みたいな一番あってはいけないことが起きる。
今回の話も、それにどこか通ずるところがあると思った。
さらに、マスターは「自分で選んだ」という自覚が持てるようにしてあげる必要がある、と伝えていた。これも、とても腑に落ちた。
いま31歳になって、自分がお金を稼いでる仕事、趣味としてやっていること、日々勉強していること、なんでこれらが続くんだろうと思った時に、それは自分で選んだということを自覚しているからだ。
もちろん選択する時には、それが必ず正しいかどうかなんて分からない。でも、それまで培ってきた、私はこう思う、こうしたいという経験に紐づいていることは間違いない。こういう経験が主体性や当事者意識を作るのだと思う。
今僕のチームには、いつも判断を委ねてしまうメンバーがいる。プランを考えるのだけれど、最終的には自分の意志が弱く、どうしていいか分からないとなってしまっている。
でも、それまでの人生の中で、もう自分で決めるしかない、という経験を積んできたなら、そういう判断をするときに自分はどういう状態であると自信を持って判断が出来るのか、が分かっているはずなのだ。
そして、自分で自覚をもって判断をしたことは、どんなに経験が浅い人でも、最後まで熱意をもってやり遂げられると思う。僕から見ると、この後輩メンバーはそこを持ち合わせていないから、当事者意識が薄い。つまり、結果が伴っていなくても焦っている様子がないのである。
ただ一方で、経験が浅い人、それから子供の好き勝手にさせるというのも、これはこれで違う。そこには教育が必要になってくる。
今日の話を聞いて、エゴと主体性と教育、この3つは互いに紙一重でボーダーラインが曖昧なものだと改めて感じた。
日々勉強だ、、、。