HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

7月17日 僕はタワマンには住めない

月曜日、

 


 

僕は社会人になると同時に都内で一人暮らしを始めた。

大学も東京ではあったのだけれど、関東地方の田舎出身で、ギリギリ電車で通えたから、わざわざコストをかけて学生のうちから都内で一人暮らしをする必要はなかった。

 

社会人になった時も、会社が勝手に住居を決めてしまうスタイルだったこともあり、自分から物件を探すということをこれまで全然やってこなかった。

自ら物件を探して、仲介業者を通じて内見をし、引っ越し手続きまで行うというのは、転職するタイミングが初めてだった。

 

ただ、実は学生時代、一定期間タワマンに住んでいたことがある。日本ではない、フィリピンでの話だけど。

 

首都マニラのケソンシティにある、とある大学に通っていた僕は、たまたまタイミング的に大学の男子寮が空いておらず、男子留学生は当時全員物件を探さなければいけなかった。

諸々の条件等々を考えて、そして大学の目と鼻の先ということもあって、ちょうど建設を終えたばかりのタワマンの28階に部屋を借りた。

 

10年以上も前のマニラである。

経済経済経済、と、経済発展をとにかく推し進めているような雰囲気が漂い、新しい建物が次々と建設されていたことを覚えている。でも、それと同時に未整備のもの、格差が目立つようになっていて、ガタガタの道路、止まるメトロ、不安定なネット、騒音、あちこちに存在するスラム、栄養よりも美味しさ、美味しさよりも値段のファストフード、こういったものが街には溢れていた。

 

それを考えると、28階のタワマンは、まるで別世界だ。

騒音も比較的ない、電気も自家発電機がある、ネットも使える。お金がなかったから、ガス代が払えず、1年間シャワーは水だったけど、別に我慢できる。洗濯機や電子レンジもなかったけど、そこはタワマン。1階にはスーパーもコインランドリーも飲食店もたくさんある。

 

一言で言えば快適、という表現が妥当なのかもしれない。確かに、留学生ではなくローカルの生徒で、そのタワマンに家族で住んでいる家庭は、それはそれは裕福な暮らしをしていた。

 

ただ、僕はどうしても28階の部屋を快適とは思えなかった。

極度の孤独を感じていたのだ。

 

うるさくても、外の騒音が聞こえるくらいの方が、1人じゃないって思えた。害虫が入ってきても、虫が入ってくるレベルの高さの方が、周りと繋がっている感じがあった。

下から声が聞こえてくるくらいの方が、逆に安心して寝られた。

 

実は、これ、カンボジアの時はそういうところに住んでいたのだ。最初はその不快さに打ちのめされたけど、慣れればむしろ快適になった。

 

僕は今年ちょうど30歳。これくらいの年齢になると、まわりでも会社経営をしたり、パワーカップルとしてタワマンに引っ越す友人も多く、何回かお宅訪問する機会もあった。

確かに快適だ。ただ、僕は住めないといつも思う。

 

僕は、アロマンティック気質だから、特定の異性も同性も愛情を抱くことができない、というか愛おしいという気持ちが分からない。

性的に興奮する、というのは分かるけど、別に求めていない。

 

そういうのは伝わるもので、僕が求めていないから、周りも特段求めていない気もする。自分の存在意義は自分で決めるしかない、そんな僕の場合、地上から離れた上空の空間は、隔離部屋のようなものなのだ。

 

地元のような、窓を開ける時も近所のことを気にする、そんな閉鎖的な空間は嫌だけれど、人が居るということが分かる、それくらいの高さで暮らすのがちょうど良い。

 

ちょうど、麻布競馬場さんのタワマン文学に関するpodcastを聞いてて、そんなことを感じた1日だった。