HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

4月26日 マーケティングの功罪を認識すること

水曜日、

 

やっぱり水曜日は、毎週必ず業務に追われてしまう。今日も例外ではなかった。会社の始業時間は9時が基本的な規則なのだが、1時間前から作業をする必要があり、対応。それが終わって成果物をグループに投下すると、ひとたび反応がブワッと溢れ出てくる。

その対応をしている中で、MTGが始まり、1on1が始まり、また資料作りが始まる。非常にワイルドな一日だった。その中でも、午後に対応した戦略検討が、脳も手も使う作業で、最後は目を閉じればいつでも寝られるような、そんな疲れ切った感じだった。

 

雨上がりの湿気った空気ではあったけど、オフィスから外に出た時に、これほどまでに夜風が心地よかったのは久々だった。ただ、その後に読んだ一つの記事が、今日の僕の午後に僕が取り組んだことを、根底から考えさせるものだった。

 

www.asahi.com

僕が毎日欠かさず読んでいる朝日新聞に、こんな記事があがっていた。自身の性自認について悩んできた、朝日新聞の記者本人が、自分自身について書いた記事である。正直、衝撃を受けた。実名で、顔も出して、自分の葛藤を赤裸々に語ることができる、いやそれをしなければならないという使命感に駆り立てられるほど、この記者を追い詰めていた問題だったのだ。

 

記事の中で印象的だった部分をそのまま引用する。

社会は、人を「男」「女」の二つで区別するシステムになっている。どうしようもなく。

学校でも会社でも、社会ではどこだって男女という性別の括りで何かしらを分けようとする。エントリーシート、何かの申込、クレジットカード、役所の書類、ほぼ全てにおいて男女どちらかを選択することを求められる。でも、本当はこんなに綺麗に分かれないものなんだと改めて思った。

女性は女性らしく、男性は男性らしく

こういう言葉があるのも、二つに分類することが大きく影響していると思う。全て人間は、どっちかにわかれるのだから、それぞれの性に求められる風に行きなさい、そんな感じだろうか。

 

でも、男性だからこう、とか、女性だからこう、とか、そもそも男女で分ける必要って本当にあったんだっけ?もっと言えば、性別以外にもこういう不必要な区分ってあると思う。既婚と独身、〇〇世代というグループ分け、血液型による性格の分類、、、。マジョリティで見たら、それでも社会は回るのかもしれないけど、一人ひとりと話してみたら、誰一人としてこんなきれいさっぱりな区分に分かれないんだと思う。

 

そして気が付いた。これを一番やっているのってマーケティングなんじゃないか、と。

新サービスや新商品などを考える時、必ずターゲットの話になる。具体的なペルソナを考えれば考えるほど、年齢や性別などのデモグラと、生活スタイルや価値観を設定するのは、当たり前の作業だ。そしてその特定のターゲットに向けて、新規サービス・商品が開発されていく?

 

本当にそんなに単純なんだっけ?

 

マーケティングに携わる端くれとして、ちゃんとこの辺りは意識したい。

世の中はグラデーション。性別や世代、体型や出身などで区分などできない。みんな境界に生きている。だから一人ひとり個別のドラマがあるのだ。そのことを肝に銘じて、マーケティングという仕事をやっていきたい。

 

おやすみ