土曜日、
今日から7月。なんと2023年も折り返しに入ってしまった。久々に梅雨らしい天気ではあるけれど、もう真夏と言ってもいいくらい毎日暑い。
7月と言うと、部活の最後の大会が始まってくるタイミングだと思う。特に、高校三年生にとってはラストの夏である。この大会がきっかけで、大学が決まったり、きっぱりと辞めて学業に専念したり、全然違う道に進んだりと、どういうパターンであっても、その後の進路に大きな影響があると思う。
かくいう私も、中学高校と吹奏楽部だったこともあり、高校三年の最後の大会に向けて、これでもかっていうくらい練習した記憶がある。というか、7月の定期考査が終わってからは、睡眠・食事・風呂・排泄以外は全て練習していた記憶がある。
そして、吹奏楽と夏という組み合わせに、もう一つ当てはまるのが野球応援だ。
吹奏楽部は7月後半からコンクールの地区予選が始まり、県大会、支部大会、全国大会と続くが、同じくらいのタイミングから高校野球も県予選が始まってくる。
僕が通っていた高校は、全員部活加入必須で、勉強<部活、の高校だったこともあって、野球応援も一大行事だった。そうそう、体育会應援團という列記とした運動部としてもあった。コンクールの前日とか、合宿と被っていなければ、吹奏楽部は應援團と一緒に野球応援に行っていた。
ものすごく暑いし、疲れる体験だったけど、なんだろう、あの一体感というか感動というか、体の内側から出てくるアドレナリンで音を鳴らすみたいな体験は、今振り返ると貴重だったと思っている。
だからこそ、20年の夏。コロナによって戦後初めて夏の甲子園大会が中止になった、というニュースは、僕にとっても衝撃的だった。
ずっと目標としていたものが、突然なくなるという喪失感。
ずっと信じていたものに前触れもなく裏切られるやるせなさ。
一生懸命頑張っていたものが、その瞬間に意味をなくす空虚感。
もし僕がその立場に居たら、と考えると足が震えてしまう。
もし僕がその立場にいる子供を持つ親だったら、なんと声をかけてあげるだろう。
「負けて悔しい」っていう感情さえも持てない。
涙さえ流せない。
機会そのものがなくなる、ということは悲しいとか嬉しいとか、そういう感情さえも奪われることだと思う。しかもコロナで友達と顔を合わせることもできない。
「きっとこの経験が将来生きるよ」なんていうことは絶対に言えない。
「絶望」ってこういうことなんだと思う。
だからこそ、「あの夏を取り戻せプロジェクト」のことを知ったとき、これをどうにか多くの人に広めたいといてもたってもいられなかった。
なんと1,000円からクラウドファンディングでサポートできる。社会人なら、1回分のランチを自分でおにぎりを作れば済む話だと思う。
僕が日々聞いているvoicyの荒木博行のBookcafeでも、この話が取り上げられていて発起人がゲストとして来ていた。そうそう、荒木マスターは武蔵野大学アントレプラナー学部の教授なんだけど、そこの生徒さんが発起人なのだ。
さらに、Amazon musicで限定配信しているJAM THE WORLD UP CLOSEでも取り上げられていた。
このプロジェクトの話を聞いた時、そして甲子園がなくなったやるせなさ、自分が高校生の時に本当に部活にまっしぐらだったこと、とかとかを考えると、「信じること」という言葉が浮かんできた。
どんなに辛くても頑張れたり、がむしゃらになれたりするのは、きっと何かいい結果が出ると無条件に信じられるから、だと思う。そして信じること、それ自体がエネルギーの源になって、再び頑張れる。そして成功体験を積んで、また信じることが出来る。
こういう循環があるなぁと思う。
僕が小学生の頃、4年生~6年生の中でNHK合唱コンクールに出場する機会があり、その中で僕が小学校6年生の時の課題曲のテーマが「信じる」だった。
小学生の課題曲は「未来を旅するハーモニー」。ドリカムの吉田美和さんが作詞・作曲だ。
その歌詞の中で
「どんな声も音も歌も どこまでも昇って宇宙を漂う」
先生、本当なの?このハーモニーも、コンクールが終わっても消えないの?
(中略)
卒業してもあえなくなっても どこかで旅つづけるメロディー
(中略)
コンクールが終わっても
卒業しても ずっと・・・
という歌詞がある。
甲子園だけじゃない、あの夏は吹奏楽コンクールも、合唱コンクールも、他の部活の大会も全部中止だった。
コンクールが終わっても消えないの?
消えないよ、ずっと続くよって、そう思ってもらえる経験をさせてあげたかった、、、。
だから、僕はこの「あの夏を取り戻せプロジェクト」のクラファン参加します。