火曜日、
視覚からではなく、聴覚から情報を取ることが多いから、言葉の表現には敏感な方だと思っている。
連日流れてくる能登半島地震についての報道。その中でも、「ああ、それは辛いだろうなぁ」と思うことがある。それは、マイノリティの方々の被災である。もちろん、被害の大きさに優劣をつけるつもりは毛頭ない。人によって、同じ被害でも、その重みは違うから、僕が何かをいえる立場ではない。ただ、マイノリティとして被災したら、辛いだろうなぁと思う放送があった。
まずは子供。圧倒的に周りの人と比べて自由や融通を利かすことが難しい。
そして肉体的や精神的に障害を抱えた人々。健常者の何十倍という不安や不便さを感じるだろう。
たまたま日本に観光に来ていた外国人旅行客。何が起きているか分からないだろう。
日本に技術を学びに来ていた技能実習の方々。石川の輪島塗などは伝統工芸として、勉強しにきていた外国人の方々も多いようである。
そして、ケアする側の人々。普段から、保育や医療、介護など、だれかをケアする側にある人々は、こういう時でもついついケアしてしまうとのこと。ただ、知らない間に、どっと疲れが溜まってしまうのだと思う。
そんな話を聞いた時に、今朝読んでいた海外の記事で、音楽療法についての記事を思い出した。オーストラリアの病院で音楽療法を積極的に取り入れ始めているという。
全然レベルが違うけど、音声コンテンツが好きな僕も、疲れていると全く言葉が耳に入ってこなくなる。例えば週明けの今日なんかがそうだ。久々に一日中仕事をした後は、正直ラジオの内容もほとんど入ってこない。
こういう時に、僕はもともと自分も習っていたクラシックサックスのカルテットを聞いたり、ソロピアノを聞いたりする。
歌詞があると、それこそ使っている言語が違ったり、そもそも歌詞の意味が分からない人もいて、そこには分断が生まれてしまうこともあるかもしれない。
でも、クラシックみたいな豊かな旋律や交わり、アンサンブルを聞くようなものは、ユニバーサルなのではないかと個人的には思う。
被災された方にも、音楽が届けばいいなぁと思った1日であった。