土曜日、
「お前さ、拡大解釈しすぎ。全然まともなこと言ってないから、あいつら」
「疑う姿勢で入らないと、こういうのは後でもっと面倒くさくなるよ」
もうすぐ始まるキャンペーン。昨今の生活者の行動を鑑みて、今回からはテレビCMだけではなくて、SNSやオフラインでのプロモーションも行う予定だ。
ブランドそのものをどういう風に生活者に伝えていくか、というようなブランディングをメインのキャリアとしてきた僕にとって、テレビCM以外のデジタル媒体での取り組みは、非常に難しい領域である。
だからこそ、同じ部署でこういった領域を見ているメンバーが、コンサル的な役割として一緒に見てくれている。デジタル媒体社からの提案にも同席をしてくれていて、その直後に言われた一言である。
要は、もっと細かく、そして同時に俯瞰して、提案プランそのものがロジックで繋がっているかどうか、更には、一つ一つで目指していく目標に根拠があるのか、疑いの目で話を聞かないと、相手の意図のまま動かされるようになってしまう。そのことへの警鐘である。
一緒に見てくれているそのメンバーは、もともと大手広告代理店のデジタル部門出身だから、代理店提案の穴も良く分かっている。そして、どういう風に提案すれば、相手を納得できるかも分かっているから、その逆を突いて細かく見てるのだ。
彼は、提案の後の質疑応答で、必ず一波乱巻き起こす。そして必ず次回までの宿題を出す。そうやって、提案自体をもっとブラッシュアップして、結果として良いものになるように仕向けてくれているのだ。
僕には、それができない。
僕は、波風を立てるということが一番苦手なのだ。もっと言うと、気まずい雰囲気とか険悪ムードが耐えられない。もっと言うと、相手に嫌悪感を抱かせる、そして僕自身に嫌悪感を抱かれることが耐えられない。
もちろんこれはビジネスの場。だから好きとか嫌いとか、そういう話ではない。ただ、僕はどうしても、これで雰囲気が悪くなったらどうしよう、面倒くさいって思われたらどうしよう、という思考回路に入ってしまう。
結果として、ポジティブな方への拡大解釈が始まるのだ。
「この部分がちょっとロジック繋がってなかったと思うんですが、これってつまり〇〇××ということで、だから△△っていう意味でこの施策を提案してるんですよね?」
こんな風に返してしまう。相手はもう満面の笑みだ。その場が和やかになる。ほっと一息。うん、僕が理由で、僕がきっかけで、「ああこの会社めんどくさい」って思われたくない。
究極的には、嫌われるのが怖いのだ。
以前から書いてる通り、僕はマイノリティの道をずっと歩き続けてきた。
幼稚園の時から他の子よりも体が大きくて、みんなと同じ園服が着られなかった。
小学生になるともっと肥満になり、みんなと同じ体操着が着られなかった。
途中から苗字が変わった。
気づいた時には、男女問わず恋愛感情がなかった。だから、下ネタも、〇〇君かっこいよね、みたいな話も全く興味がなかった。
誰かと心の底から共感する、ということが一度もなかった。
でも、僕以外の人が同じようにちょっと変わっているとかでイジメられているのを見て、僕は絶対この対象になってはならない。と強く心に誓った。
そこからだ。
あ、この人、この場、この空間では、こういう発言をしておくと雰囲気良くなるわ、というセンサーが発達した。
その結果、自分の周りで問題が起きることはほとんどなかった。もちろん、これまでにいじめられたことも一度もない。
そして、僕も周りに対して、怒りの感情を覚えたことがほとんどない。実の父に対してくらいだと思う。こうして、平和主義者になった。
でも、素の自分になる時間が必要で、だから、絶対に一人になる時間が必要だった。
そして今こうして大人になって、平和主義者としての弊害が出ている。
実は前職の時も同じようなことがあって、顧客との折衝の場面で、こちらが媚び諂って丸く収めたことがある。その時の直属の課長は、僕に対してみんながいる前でどなった。
「あほか、お前は!」と。
いい作品を作りたい、いい結果を出したい。こういう欲求はあるし、特にクリエイティブの領域についてはこのこだわりが強い。ただ、一人じゃなくて誰か、とくに他社が入ってくると、途端に自分の意思が表に出せなくなる。
この殻を破らないことには、本当の意味で壮大な何かを達成することはできないんだろうな、と思ってしまう。
季節も変わる。僕も少し変わらなくては。