HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

3月10日 現場に入るということ

日曜日、

 

 

「ほら、ご飯食べていきなよ、こんなに作ったんだから」

 

大学生の時、ある一定期間、僕はフィリピンに住んでいた。半分は現地のNGOで活動をし、半分は交換留学生として大学の学部生に交じって勉強をしていた。

僕が参加していたNGOは、教育に関するNGO。現地のスラムに住む子供たちへの教育支援、奨学金支援である。ゆくゆくは、優秀な生徒がその支援から生まれていき、そのコミュニティの中でのロールモデルになっていくような、そんなビジョンがあった。

もちろん僕が住んでいたのはマニラのケソンシティ。一応、大学との提携で来ているから、安全と品質が確保された住居に住んでいた。

だけど、そんなところに居るだけでは、サポートに入るコミュニティの様子は分からない。

そこで土日は基本的に、フィールドワークという形で支援先の、いわゆるスラムと呼ばれる(そこまで厳しいところではなかったけど)ところに通っていた。

その時に、毎回言われたのが冒頭に書いた言葉である。

 

正直、いつも迷っていた。もちろん、フィリピン人の気質はとても明るく、心の底からご飯食べていきなよと伝えてくれている。だけれど、経済的に余裕があるかというと、その真逆を行くような人々だ。大雨が降れば家が流されるのが当たり前。一食、二食分が確保できるなら、他の家族にあげてほしい、そう思っていた。僕は当時、月約9万円の無返済奨学金をもらっていたから、特に何不自由なく生活できていた。住んでいたコンドミニアムに帰る途中にあるスーパーのフードコートで売っているレベルだったら、なんでも好きに食べられるくらいの余裕があった。

だから、いつも本当に迷っていた。「これ食べていきなよ」「これ持ってって~」というのを、そのまま真に受けていいのだろうか、と。

僕らが来たことによって、彼らはもっと貧しくなってしまうんじゃないかと。当時は、すごく視野が狭い学生だったから、ド短期の目線しか持てず、そんなことを考えていた。

でも、ある時分かったことがある。

それは、誰だって、誰かの役に立ちたいと思っている、ということだ。そして、外野から見れば、それは支援者と被支援者という関係かもしれないけど、一歩その中に足を踏み込めば、その関係は対等、つまり仲間になるのである。

僕らが彼らの将来のために、家計調査をして貯蓄計画を立てたり、教育学部の現地の大学生とスラムを繋いで、塾の仕組みを導入したり。確かに、こういうことは事実を並べれば、”僕らが彼らにやっている”ことだ。ただ、こういうことができるのは、彼らが僕らの話を聞いてくれたり、色々と教えてくれたり、そういう協力体制があったからこそ。中に入ってみると、本当に仲間、同僚という感じがする。

そして、彼らだって、本当は僕らの役に立ちたいと思っている。それが、生き甲斐なのだ。それをNGOの現地のスタッフから聞いた時、僕は自分を恥じた。

 

その後、国連ボランティアのインターンで他のアジアの国に滞在する中、同じように、現地の人から、食事を提供してもらったり、スカーフをもらったり、サンダルをもらったり、本当はこれは外国人旅行客のお土産として売れば結構高く売れるのに、くれたりした。

 

「ホテルの冷房が効きすぎてたから、このスカーフがあって本当に救われたよ」

 

そういうと、彼らは嬉々としてニヤニヤしていた。ああ、なんかいいなぁこういうのって思った。

 

能登自身でボランティアに入っている人々が寝泊まりをする時に、段ボールを使ったり、炊き出しの余りを分けてもらっているということに対して、SNS上では炎上するくらいに批判が集まっているらしい。これを今日朝日新聞ポッドキャストを聞いて改めて深刻だと、理解した。

でも、違うのだ。奪っているんじゃない、話を聞けばわかる。現地の方々が、

「ほら、これ使って、暖かいよ」

「これ余ってるから、私らじゃ食べきれんから」って。

それに対して、ありがとうございますといって受け取ると、本当に嬉しそうな顔をしてくれるという。

omny.fm

 

このニュースを聞いて、外野からとやかく言うなら、現場に入れと改めて思った。

SNSはそういう人が多すぎる。

 

僕は今、どうしても仕事が忙しくて現場に入ることはできない。でも、だからこういう放送を聞いて、内側を知ろうと努力しようと思う。