HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

10月10日 愛情と尊敬

火曜日、
 

 
めちゃくちゃ腑に落ちた話。
 
あるタイミングから、自分と親との関係が親子関係というよりも、まるで友人関係のように思えてきた、という経験はないだろうか?
逆もまた然りで、あるタイミングから、自分の子供との関係が、親子関係というよりも友人関係のように思えてきたことはないだろうか。
 
僕はまだ親になった経験がないけれど、自分の親をそんな風に思い始めたタイミングが確かにある。
 
そのタイミングとは、主に親側の変化によって起きるものなのだ、と今日の荒木マスターのvoicyを聞いて理解した。
 
『友情とは、愛と尊敬によって成り立つ』このカントの考えを、戸谷さんの書籍を通じてリスナーに届けてくれた。
 
子供が小さいときは、一般的には親は愛情100%で子供に接すると思う。自分の子供ではあるけれど、他人は他人である。にも拘わらず、まるで同一視して見ているような、そんな感覚で親は子供を見ているだろう。
 
ただ、ある時からその愛情に対して、斥力が生じ始める。つまり、子供側による反発だ。子供側に自我が芽生え、自立し始めると親の100%の愛情に対して反発し始める。
 
そうか、うちの子供も、もう立派な一人の個人なのだなぁ
 
そんな風に一個人としての尊敬と、その個人の意見を尊重するようになると、これまでの一方的な愛情から、どこか対等な友情関係のような距離感になる。
 
この話を聞いて、ものすごく腑に落ちた。確かに、僕自身も中学生くらいになって反抗期の過渡期くらいから、自分の親を、なんでも言える友人のように捉え始めていたかもしれない。
 
 
一方で、もし尊敬や尊重を伴わない、尊敬が不在の愛情だったらどうなるだろうか。
荒木さんによると、この本の著者である戸谷さんは、
「尊敬なき強い愛情は、相手を手段化する」と表現しているらしい。
 
確かにそうだと思った。
一方的な親の愛情が注がれ、子供との間に全く尊敬の関係性がない親子関係を想像してみてほしい。親は、自分の子供を、自分が思うままに取り込みたいという感情があるのではないか。
つまり、親の自尊心を満たすために、子供が道具となる、手段となるのだ。
と、考えたときに、これは決して親子関係だけの話ではなく、夫婦関係、恋人関係でも言える気がした。
尊敬が不在の愛情は、どちらか一方が完全に取り込もうとする、支配しようとする関係になってしまう。
 
親子でも、夫婦でも、恋人でも、そして上司と部下でも、会社と社員とでも、愛情と尊敬が両立することによって、良い関係、友情関係が築かれるのだなぁと、そんな風に妄想した。