日曜日、
昨日とは打って変わって、今日は溜まっている残タスクをこなす日として確保しておいた。とは言っても、平日は運動する時間が取れないので、いつもの日曜日と同様に、エクササイズも兼ねて、1.5時間のウォーキングを行う。
歩いていると、看板がチラホラ。
来週の日曜日は、東京マラソンらしい。全然知らなかった。というか、もうそんな時期なのかと1年が経つのは早いなぁと実感。
「不要不急の外出自粛」
と大きく打ち出されていたけど、今は全然そんな言葉見なくなった。やっと戻ってきたんだなぁと思ったひと時だ。
そんなウォーキングのさなか、いつもの通りポッドキャストを聞いている。
いつもその時の気分で番組を選ぶのだが、今日は社会的なトピックが続いた。
・岸田首相元秘書官の同性愛者に対する侮蔑的差別発言について当事者が語る
・旧統一教会の元信者の告白
それぞれ、同性愛者の当事者、旧統一教会の被害者が自身の体験・意見を語っていた。
まず間違いないのは、両方ともに被害を受けている人がいるということ。
誰かを傷つけた以上、責任はとるべきだと思う。
そしてもう一つ思うのは、それぞれの立場の人に別々の正義があるということを自覚して、どうすれば解決できるかを検討することの大切さだ。
私個人としては、異性愛者が享受できている権利や自由を、同性愛者が享受できないのは間違っていると思う。だから、同性愛者の人に対する差別的発言なんて、言語道断だ。
ただ、岸田首相はじめ、この秘書官も、どうして異性愛だけが正しいという正義に固執しているのかそのマインドを知りたいと思う。そこから、どうすれば共通正義が見出せるか検討したい。
旧統一教会もそう。どうして、過剰な献金や子供への体罰、結婚の無理強いなどが正しいという風に考えるのか、私には理解ができない。だから、彼らの考えを知りたい。
「人それぞれ正義は違うよね」
これで議論が終わってしまうと、そこからの発展は一切ないと思う。それが何を意味するかというと、対立だ。ずっと対立し続けることになって、何の解決にも結び付かない。
人の数だけ正義がある。だったら、その正義を対話によって伝えあい、共通善を見つけられないだろうか。
実はこういう思想になったのは、僕が尊敬する荒木博之マスターのNewspicksの記事、苫野一徳さんのvoicyの発信がきっかけだ。
自分の正義だけではなく、自分とは違う正義や考えに触れることを日常的にやっていきたいと思う。
その意味で、自分の主観一切関係なく、毎日更新されるフライヤーの本の要約って、多種多様な価値観・考えに触れられるからめちゃくちゃ価値のあるものだと思う。
フライヤーこそ対話のきっかけになるのでは。
おやすみ