土曜日、
30代に突入してから体の老化を感じることが増えた。
コロナ前からジョギングを習慣にしていることもあって、体力的な衰えではない。体の表面、いわゆる肌トラブルの話である。コロナ禍でオンライン会議が普及すると同時に、スキンケアを意識する男性も増えてきた。それもあるけれど、僕の場合はどちらかというと、夏のジョギング期間中に受けた紫外線のダメージと、冬の乾燥とが相まって、この時期になると肌のトラブルが激しいのだ。
今年に入って、これまで以上にスキンケアを意識するようになると、SNSで出てくる広告もそういう類のものが増えてくる。やたらとみるのが、しわ・しみ・毛穴・たるみ、そしてアンチエイジングだ。
見た目の美しさや体力、年齢を重ねれば重ねるほど、失っていくというのはやむを得ないと思う。僕らは人間であり、同時に生物でもあるから、種の保存が生きることの目的の一つでもあると思う。そのピークを迎えるのが、恐らく20代とかでそれを過ぎたら、あとは下降していくんだと思う。
ただ、じゃあ歳を重ねることは絶対悪なのか、というとそうでもないと思う。というのを、今日聞いていたVoicyで、有名ブロガーのちきりんさんが語っていた話を聞きながら思った。
美魔女みたいに言われる人や、ずっと活躍し続けるアスリートみたいな人もいるのは事実だ。ただ、それでも20代と60代とでは、その差は歴然だろう。
一方で、年齢を重ねないと獲得できないもの、培うことができないものもある。
それは、知識。
それは、経験。
それは、思慮深さ。
それは、寛容性。
それは、柔軟性。
そして、謙虚さ。
僕の個人的な意見だけれど、人は知識を蓄えれば蓄えるほど、経験を積めば積むほど、自分の小ささに気づくことが出来ると思う。家族、友人、学校、社会、外国といってコミュニティが大きくなればなるほど、そこにある多様性に気が付く。そんな時、周りに対して畏敬の念を抱くとともに、寛容的になれるのだ。
自分が絶対的に正しい、この人は意見はおかしい!みたいな感じで、若い時は尖がった意見ばかりを持っていたなと思う。そして恥ずかしい思いもするし、怒られるし、失敗もする。でも、それが経験となる。だから、僕は若い時に尖っているのは、むしろ大事だと思う。
でも、そこからの学びをちゃんと反芻して自分に落とし込むことで、寛容性や柔軟さに気が付くのだ。
僕が尊敬するシニアに共通しているのは、謙虚であるということだ。中には、了見が狭い人もいるけれど、その真反対の人もいる。自分より何十歳も年下の人の意見もすんなり受け入れて、取り入れる、素直に感動し、感謝し、それをちゃんと伝える。
これこそ、正しく歳を重ねないとなれない姿だと思う。
ここで「正しく」という言葉を用いたのは、意識して歳を重ねていかないと、こういう姿勢は身につかないと思うからだ。
毎日運動する、スキンケアをする、早寝早起きを心掛ける。こういう風にして、アンチエイジングに務めることは重要だ。
でも同時に、年齢を重ねるからこそ得られる姿勢をちゃんと獲得するために、学び、経験し、深く考え、他人を認め、柔軟に受け入れ、周りに感謝する、これを意識したいと思った。