日曜日、
昨日はギリギリもっていた天気が、今日は崩れていた。朝、目が覚めると、カーテンから漏れる日差しの弱さから、雨が降っていることを一瞬で感じ取る。毎朝ランニングをしていると、朝起きたときの日差しや温度にとても敏感になるのだ。
雨脚はそこまでっていう感じだけれど、雨の本数が多いというか、めちゃくちゃきめの細かい雨が降っている。こういう時の方が濡れるんだよなぁと思いながら、とりあえずランニングに出た。
雨の日は確かに少し憂鬱なんだけど、雨の土日は嫌いじゃない。街が空いている。若干だけど、道も駅もカフェも、少しだけ空いていて、ちょっとだけ息がしやすい。今日も例外じゃなかった。いつもなら混んでいるカフェも、今日なら座れるかもと思って行ってみる。どんぴしゃり。圧倒的な空席の数。そのおかげで、作業がとても捗ってしまった。あっという間に1時間が経過し、少し息抜きということで、いつも読んでいるウェブメディアをサーフィンし始める。
そこで、一つの記事に目が留まった。それは、毎日読んでいる朝日新聞デジタルの「アンドダブリュー(&W)」というウェブマガジンに載っていた記事だ。この媒体は、朝日新聞デジタルの中でも、特に日々の暮らしや市井の人々の生活の裏側にあるストーリーに光を当てるマガジンだ。そこで気になったのが、連載されている「花のない花屋」。
この連載は、フラワーアーティストの東信さんが、読者から寄せられたエピソードをもとにして、生花をアレンジするというもの。東さんのプロフィールはこちら。
今日のこのタイミングで、この連載に目が留まったのは、母からの依頼で、知り合いの退院祝いのギフトを考えてほしいと頼まれていたから。更に、僕の母もフラワーアーティストとして活動をしており、その生徒さんの中の一人が、癌の闘病生活から復帰されて、その生徒さんに対する退院祝いだったからだ。
〇〇祝いっていうと、何かモノをあげがちだけれども、生花アレンジメントっていう選択肢があると思った。この連載では、主にもうこの世にはいない人に対して、故人がその人とのエピソードを交えて、伝えたい思いを紹介し、それに対して生花アレンジメントを一緒に掲載しているのだ。
フラワーアレンジメントって、生花に留まらず、ドライフラワー、プリザーブドフラワー、アーティフィシャルフラワーと色々とあるけれど、改めて生花のアレンジメントが持つ生命力の強さには、ただただ圧巻される。
僕ら人間って、心から祝福する時や、もう存在しない相手に対して感謝の気持ちを伝えたい時、そして悔恨の思いに打ちひしがれる時、はたまた抑えられない感情を表現したい時、そして最期の時、こういった自分の感情が言葉ではうまく伝えられない時、生花を通じてその思いを表現してきたと思う。
花を通じて、その思いは国も時間も、そして時空も超えるのだと思う。喜怒哀楽、どの感情においても何か伝えたい、でも物理的に・気持ち的に伝えられないという時、生花の持つ生命力の強さと美しさがそれを伝えてきた。
母がプリザーブドフラワーを中心としてアレンジするフラワーデザイナーであるからこそ、うちには作品がたくさんあるけれど、だからこそ庭には野生の花をたくさん植えていた。どうしても、生花にしか出せない美しさってあるんだなぁと思う。
6月は梅雨の時期。梅雨はジメジメするし、なにかと憂鬱なんだけど、実は花が一番きれいに見える時期でもある。こんな時だからこそ、外に咲く花、そして生花のアレンジメントに目を向けてみてほしい。強い生命力から、今伝えたい思いや感謝が自分の中にあることを気づかせてくれるかもしれない。
素敵な気づきのあった一日だった。