HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

6月26日 多頭崩壊の萌芽 道徳と倫理について

月曜日、
 
 

この土日も暑かったけれど、今朝はもっと暑い。空気が止まっている。もう少し風が吹けば涼しくなるのだろうが、無風である。心地よい朝を、もう何日も味わっていない。もう少し早起きをして、快適な朝を過ごそうかとちょっと思っている。
 
早起きと言えば、僕の母。母は、どんなに遅くても5時には起きている。僕と同じで、できれば一人で過ごしたい意向が強い母は、1人に慣れる時間として朝を選択している。父が起きてくる7時半までの間に、庭の水やり、車掃除、掃除、一回目の洗濯などを終えて、一息をつく、そこまで終わらせる。
 
ただ、こんだけ暑いときっとばててるのかなぁと思っていたところに、長文のLINEが入ってきた。
 
裏に住んでいるご近所さんのところに、最近4,5匹の野良猫が頻繁に来るようになっているとのこと。もともとは1匹だけだったところに、ある時子供を産んだようて、小さい赤ちゃん猫も一緒にご飯食べに来るようになったとのこと。
 
問題は、決してこんなに多くの猫を飼えるような人ではない。ただ単純にエサをあげているだけということだ。猫だって賢い生き物なのだから、行く度にエサをくれるような人のところには、通い始める。
 
そうなると、他の猫もその中に混じり混んだり、多くの猫が来る分、もちろんトイレの始末だってしなければいけない。そして、春に生まれたメス猫は、秋にはもう子供を埋める体まで成長する、つまり数がどんどん増えていくことを覚悟しなければいけない。
 
果たしてそういうことが分かっているのか、ということを文章にしたためたLINEだった。
もともと、うちにも僕が生まれたときから猫がいて、猫と一緒に育ってきたから、猫と暮らすことは僕にとっては当たり前だった。ただ、母は必ず去勢をやり、飼えない量の猫は飼わない。動物は絶対にお金を出して流通の手助けになるようなことはしない。病気でもなんでも、飼うと決めたら自分が死ぬまで面倒見るし、途中で自分が死んでしまう可能性があるなら飼わないという徹底ぶりだった。
 
実際に、振り返ってみると、これまでいろんな種類の猫を飼ってきた。両方の耳が聞こえない猫、白血病の猫、猫エイズの猫、どれもみんな最後は大変だったけれど、目の前の現状に対してできることをやってきたなぁと思い出す。
 
一方で、いっときの「かわいい」や「かわいそう」では、決して判断をしてこなかったのも事実だ。
 
「困っている人がいたら助けてあげなさい」
「困っている動物がいたら助けてあげなさい」
こういう世の中の道理、教えが道徳である一方で、目の前の現実に直面して、それで自分自身が深く考えてどう行動するかという、もっと現場レベルの話が倫理。
 
すごく簡単に言うと、上からのトップダウンが道徳で、現場からのボトムアップが倫理だ。
トップダウンで、ある種、思考をストップさせて行動してしまう、そんな一連の流れを今朝の話を読んでみて思った。
 
 
小田和正さんの「たしかなこと」の中にあるように、
 
時を超えて君を愛せるか、本当に君を守れるか
 
考えてほしい
 
目の前の現実に衝動的に思考停止でになるのではなく、深く考えて行動してほしい。
 
そして、自分もそうでありたいと思った。
 
そんな、道徳と倫理の違いなどが学べる本を今日は紹介。