HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

5月3日 対話を通じて見える世界

金曜日、

 

 

「僕は彼女が見ている世界に惹かれたんです」

 

本日読了した、湊かなえ氏の作品『サファイア』、その中で出てきた一節である。

この作品は短編で構成されているけれど、それぞれが微妙に繋がっており、湊かなえワールド全開の作品である。

その最後の短編『ガーネット』。その中で、とある男性が口にした言葉である。

 

彼女と話すようになってから、それぞれの色が一色ではなくて複数あるということが分かった。

彼女と話すようになってから、どれだけ日常的な家事や手料理が有難いことなのかが分かった。

彼女と話すようになってから、同じ場所・同じ瞬間を生きているのに、全く別の見方が存在するといことが分かった。

そして、彼女を通じて知った世界は全て僕にとって新しく、そして愛おしいものであった。そんな彼女の見ている世界、その世界に惹かれたんです。こういうコメントであった。

 

いまの社会、別に一人でも生きていけるし、むしろ最近では将来は一人でもやっていけるように教育されてきていると思う。もちろん、それはとても大事なことである。何を隠そう、この僕は今のところずっと独り身で生きていこうと思っており、むしろ一人でいる時間がこの上なく好きなのだ。

ただ一方で、どうしても世界の見え方は偏ってしまう。

どんなにニュースに触れたって、どんなに本を読んだって、どんなにSNSを漁ったって、全ての情報は僕というフィルターを通じて入ってくる。情報と僕との間には、僕の視点での世界という一つの世界しか存在していないのだ。

本を読みなさい、映画を見なさい、そうやって他者の思想に触れるようにしなさいと、学校教育では習ってきた。それはその通りだ。

ただ、受け取る相手は僕一人だった場合、そこからの発展はない。一つの小説に対して複数人と感想を言い合う時、映画のあるワンシーンに対しての印象を誰かと語り合う時、初めて視点が複数存在するということを、実感を伴って知ることができると思う。

 

この小説のように、誰かが見ている世界にすごく惹かれるという場合もあれば、その真逆もあるだろう。だからこそ、視点が広がるのだと思う。

 

と、この文章を書きながらそういえばと思い出したことがある。

僕は哲学対話がすごく好きだ。哲学対話とは、普段はあまり立ち止まって考えないような話題について複数人で考えること、その時に相手の意見を否定したり、傷つけたりするのはNG、そして「ま、人それぞれでしょ」で終わらせない、というのがルールである。

実は大学3年生の頃から、同じ学部が作った読書会サークルで、この哲学対話を週に何回かやっていた。

友達とは何か?

ことわざは、どうして昔の言葉が多いのか?

なぜお腹が鳴るとはずかしいのか←これは、この前聴いていた哲学対話で出てきたトピックで、めちゃくちゃ面白いと思ったものだ。

 

こういう何気ないトピックだからこそ、真剣に考えると、各メンバーの世界が垣間見える。

対話って大事かもね。

自分の世界がいかに辺境かも、分かるいいきっかけになると思う。