金曜日、
昨夜は早く寝ようと思ったのに、ついついSNSで動物の動画と、びっくりさせるプランク動画を見てしまって、気づいたら0時半を回っていた。
体はひどく疲れているはずなのに、5時間睡眠は体に毒だなぁと思いつつ、気づいたら意識が飛んでいた。
ただ、昨晩はそういう類の動画を体が欲していた。癒しと笑いである。というのも、とある芸能人の自殺のニュースが舞い込んできて、無意識的に貪るようにそのニュースを見てしまったからである。
コロナ禍になって以降、テレビを捨ててしまった僕にとって、芸能人に関するニュースは意識しないと入ってこない。だから、今回亡くなってしまった方がここ最近どういう状況だったのかということも、日常生活の意識の範囲外にあった。
ただ、もともとタレントとしてデビューして、その後パートナーの女性と結婚し、一児のパパになったあとで離婚した、というところまでは知っていた。
性同一性障害であることを発表されて、そこから急速に女性としての第二の人生を進んでいたというのも、なんとなく知ってはいた。ただ、実際の姿は全然目にしていなかった。今回改めてYoutubeで動画や画像を見ると、色々と思う所はある。パッと見は、以前よりもとてもイキイキしているような雰囲気が感じられる一方で、どこかオドオドしているようなそんな感じもする。
それぞれが異なる正義をもっているように、それぞれにとって「これが自分の生きる道」と言う風に思う考え方があると思う。一人一人の意思決定に対して、血の繋がっていない赤の他人が、とやかく言う必要はないと、個人的には思う。
結婚をして、お子さんまで設けて、そんな責任ある状態にも関わらず、自分の性自認をカミングアウトして女性として生きていく、そんな様子に対して、
「自由奔放すぎる」とか「むちゃくちゃだ」とか思う人もいるかもしれない。
それはそういう意見として、別に抱いてはいけないことじゃないと思う。
例えば、自分が彼(彼女)と同じような状況に置かれているにも関わらず、例えば経済的な理由とかで、自分の性自認を隠し続けなければいけない、と言う人は世の中に結構いると思う。そして、そういう自由奔放すぎる親に育てられた人も、たくさん居ると思う。
そんな人たちからしたら、彼(彼女)の決断や行動は、一ミリも理解できなかったのかもしれない。それはそれでいいと思う。
ただ、それを彼(彼女)が目にしてしまうかもしれないところに投稿したり、表現したりすること、それは違うと思う。
SNSに書いた時点で、その可能性はあるのだから、そういうことはしてはいけないと、私は思っている。
もちろん、日頃から抑圧されてストレスに雁字搦めにされている人からしたら、SNSは愚痴を簡単に吐ける格好の場だと思う。でも、特定の誰かを名指して批判したその投稿は、今の時代、簡単に本人に届いてしまうのだ。
気に入らないからといって、人を刺してはいけないのと同じように、気に食わないからといって、特定の人を言葉の凶器でズタズタにしてはいけないと思う。
陰口は、絶対にばれないところで吐け。
そうじゃなかったら、陰口じゃない。嫌なら対面で言えばいい。でも、そんなことは簡単じゃない。だったら、陰口が陰口で終わるように処理すればいい。ノートに殴り書きで書けばいい。家族に愚痴ればいい。弁図の共通部分が絶対ないと思う環境で吐け、書け。
陰口はバレたら、それはもう陰口じゃなくて刃物だと思う。