HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

8月18日 「結果がすべて」は本当にいいのか

金曜日、
 

 
今日は、朝から賑やかだった。
チームメンバーが、昨日まで開催していた、とあるキャンペーンの最終的な流通高の結果をスクショして、グループチャットに書き込んだ。
 
「おはようございます。目標達成なりませんでした。。。もう、今日は勤務終了したいです(笑)」
 
僕が所属するチームは、比較的にタテとの関係が緩いので、こういう投稿をしても特に咎められることはない。ただ、結果は如実に賞与に反映される。
 
もともとの目標は、昨年の同時期のキャンペーンと比較して、最低二桁成長達成すること、であった。前年を下回ることはなかったけれど、二桁まで行くことはできなかったようだ。
 
グループチャットでは、おもしろおかしく報告をしていたそのメンバーだったが、実際は結構凹んでいるようだった。
彼女は、いま僕が所属する会社に新卒で入社して、まだ働き続けている。そんな彼女だからこそ、目標未達ということが、自分の評価にどれだけ反映されるのか、ということを身に染みて分かっているようだ。
 
退勤時も、いつも彼女は、金曜日の場合だと、
「良い週末をお過ごしください~」と言って帰っていくが、今日はそれもなかった。相当きていたのかもしれない。
 
そんな彼女の様子を見て、最近読んだ本を思い出した。
御田寺圭氏が書いた『ただしさに殺されないために~声なき者への社会論』(大和書房)である。
 
タイトル通り、世の中一般ではマイノリティと呼ばれる人であったり、弱者とみなされる人、それから非道なことが横行する世界で生きる人たち、こういった人たちに対して、光を与えていく本である。
この中で、実際のヤクザの人と著者が交わした会話が紹介されている。
 
「やくざの世界で、やくざになりたいって思って、やくざになっているやつなんて、誰もおらん。それしか方法がなかったんだ」
 
僕はこの言葉を聞いてハッとした。やくざを含む、こういう極悪非道と呼ばれる世界で生きる人達のことを、僕らはそれだけで否定しまっていないだろうか。
「やくざになった」という結果だけで、その人を判断している気がする。
 
やくざになった人達の多くが、両親がいなかったり、お金がなくて学校に通えなかったり、DVを受けて家に居場所がなかったり、最期に行きついた場所として、ヤクザの世界に足を踏み入れていると、そのやくざの人は語った。
 
そして、ひとたびヤクザになると、世間は一気に冷たい目線を浴びせてくる。
つまり、ヤクザになって初めて、社会の規範やルールを適用してくるのだ。その人達が小さい頃に、欲しくて欲しくてたまらなかった、
「子供達を守る」という社会規範や、
「暴力をふるってはいけない」という社会の一般的なルールは、小さい頃は適用してもらえなかったのだ。
 
それが、大人になってヤクザになった途端、勝手に社会のルールが適用される、これは一体どういうことなんだろう。
 
エゴというか、私達一人一人の自分勝手も甚だしいにも程がある、と自分に対しても嫌気がさしてしまった。
 
もし仮に結果がすべてなのであれば、美容整形だって、もっともっと肯定されるようになると思う。でも、どこかで私たちは、素直に頷けないところがあるんじゃないか。
それは、
「結果がすべてじゃない」、
と、本当はどこかで思っていることの裏返しなんじゃないか、と思った。
 
自分の考え方を、少しアップデートする必要があると思った。