HONEST

猫好き・植物好き・ラジオ好きの齢32歳。日々の学びや気づきを、ちょっとだけ得意な文章とイラストで自由に記録していきます。

8月19日 「頑張ってね」じゃなくて「頑張るね」

土曜日、
 

 
”生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り
気が付きゃみんな年取って 同じとこに行くのだから”
 
森山直太朗『生きてることが辛いなら』
 
 
もう死んじゃいたいよ、そうぼやいている人に対して、
「だったら死んじゃいなよ」
そういうと、なんだか死ぬ気が失せてしまう、っていうことがあると思う。
 
冒頭紹介した、森山直太朗の『生きてることが辛いなら』。
この歌は、そんな単純な話をしてるわけじゃないと思うけど、
歌の冒頭で使われる”生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい”、これも
若干似たような部分があると思う。
 
あなた一人が例え死んでしまったとしても、そんなことは、世界レベルで考えれば、
本当に米粒くらいの小さいことに過ぎない。
これまで繰り返されてきた歴史、地球を含む太陽系レベルで考えたら、あなたが死んでしまうことなんて、本当にあなたの周り数人くらいしか認識しない、一瞬で過ぎ去ってしまうレベルだ。
死ぬことだけ、というよりも、あなたが存在して生きている、そのこと自体も、
本当にちっぽけなこと。
でも、それだったら、まずは思い切り泣いてみて、思い切り何かを守ってみて、思い切り疲れてみて、そしてもう疲れて何にもできないや、っていうくらい一回やってみてもいいんじゃない?
同じちっぽけなことなんだったら。
 
あくまで僕個人の解釈だが、この曲からはこんなメッセージを感じられた。
 
少し話を変えよう。
最近、母親から、何かとトラブルが立て続けに起きて、ちょっと正直メンタルがやられてるんだわ、とLINEが来た。
体調不良、飼っている猫の緊急入院、冷蔵庫・エアコンが同時に壊れて来月まで来ない、こんなことが起きているとのこと。
ただ、それに対して、母の母、つまり僕にとっての祖母から「頑張ってね」と声をかけられて、それが腑に落ちていない、との話があった。
 
この話を聞いた時に、上記の森山直太朗の歌を思い出したのだ(てんでレベルが違う話なのだけど、そこは目をつむって頂きたい)。
 
既に色々と頑張っている人に対して、頑張ってと声をかけること、それは相手のやる気を削ぐことになってしまうと思う。
死にたいと思っている時に、だったら死んじゃないよって言われると、なんだか死ぬことが馬鹿らしく思えるのと同じように、逆説的に働くと思うのだ。
 
あなたが何かに挫けそうになった時、ちょっと続けることがしんどくなった時、それをどうにか乗り越えることが出来たときのことをちょっと振り返ってみてもらいたい。
 
僕の場合は、身近な人が頑張っていると、自分も頑張らなきゃと思えた。そういう人ほど、決して周りに対して「頑張って」とは言わない。黙々と、自分がやるべきことを淡々とやっているのだ。
 
親とか、学校の先生とかから、頑張ってねと言われたときに、そういう発言をしている本人が頑張っていなかったら、全く説得力がなかったと記憶している。
 
一方で、そういう声掛けをしてくれなくても、とにかく必死で毎日を過ごしていたら、そういう背中を見せてくれていたら、子供は自然と自分も頑張らなきゃって思う気がする。
実際に、色々な物事にモチベーション高く取り組める子供って、その親や周りが日々を一生懸命に生きているケースが多いと思う。
 
「頑張ってね」じゃなくて、「まずは私が、頑張るね」。
 
言葉に出さなくていいから、そういうメッセージを態度や行動で語ることで、周りのやる気を引き出せると思う。
 
冒頭の森山直太朗の歌は、死にたいって思っている人に、だったら死んじゃいなよって語りかけるものだけど、作用は同じで、それの逆パターンで、だれかに「負けないで」って思ったら、「頑張って、負けないで」っていうのでは逆効果なのだ。
 
今日は、下記に貼っているリンクの本「居場所。」を読んで、作者の大崎氏(吉本興業の元会長)と、そのお母さんとのやり取りを読んでいて、仕事も勉強も一生懸命に取り組み、その姿勢で語るお母さんと、頑張る大崎氏のやり取りに元気をもらった。
 
そこから色々と妄想した。