木曜日、
毎週木曜日は在宅勤務の日、といっても来週からはちょっと勤務体系が変わるから出社になるかもしれないけれど。
在宅勤務の日は、大好きな音声メディアにどっぷり浸かりながら業務を進められるのがこの上なく嬉しい。基本、チャットベースのコミュニケーションが多いから、耳がふさがっていても特に支障がないのである。
そんな中で、今日は有名なポッドキャスト番組である「ドングリFM」を基本流しっぱなしにしていた。だいぶ前から存在は知っていたのだけれど、僕はこれまで聞いてこなくって、まだまだ未再生のエピソードが山のようにあるのである。それを一つ一つ消化するのも、また何ともいえない心地よさがある。
だいぶ多くのエピソードを聞いたのだけれど、その中でもnoteのプロデューサーでもあり、ブロガーでもある徳力基彦さんをゲストの迎えた放送の内容がとても心に刺さった。
徳力さんはもう50代になろうかと思う齢の方だけれども、これまでずっとブログを書き続けている。どうしてそんなに書けるのか、というような話になった時に、彼はブログを書くしかなかったと言っていた。
以前勤めていた会社では、基本的に雑談が少なくて、会話があったとしてもいつも決まりきったメンバーで特に新しいトピックもなく、一日が過ぎていくような感じだったという。そうなると、どうしても孤独に感じるし、雑談がない分だけ自分の中にたまった感情や思いが抱えきれなくなって、それをただただブログという形に綴っていたとのこと。
ここまでブログが続いているのは、最初は決して上手く書こうと思わずに、日々を綴っていたから続いたとのことだった。
今となっては、徳力さんは、それはそれは有名な方でいらっしゃるけれど、最初からホームランを狙って書いていたわけではないという。たくさんゴロを打つ中で、たまにホームランになって、その回数が増えていっただけだったとのことだった。
この話を聞いて、今の僕が置かれている状態をちょっと妄想した。
今の会社も、基本的には雑談があんまりない。ただ、それは環境のせいというより、むしろ僕のせいだと思う。僕は、雑談が最も苦手なもののひとつなのだ。
というのも会話をするのであれば、必ず相手を楽しませなければいけない、その会話が有意義だったと思ってもらわれなければいけない、という風に自分に暗示をかけてしまう傾向がある。
そして、これは決して相手のためだけを思って、というわけじゃなく自分に対してもそうだ。せっかくこの人と会話をする時間を持つなら、意味のあるものにしたい、という風に考える。
そして、雁字搦めになった思考と口元が、言いたいことを言わせなくするのだ。
だから、思ったことが脳みその中に溜まってしまって、それを吐き出すように書いているのかもしれない。
ただ、最近は、このブログでも「いい文章を書かねばならない」と思っている自分がいある。
いい文章とは何か?
そもそも読者のこともちゃんと知っていないのに、良いも悪いもあるのか?
そして続かなくなってしまうのではないか?
本末転倒である。
何かと完璧主義者な私。
会話に関しては、どうしても対面になってしまうと途端に雑談から対話や商談モードになってしまうから、まるで車の運転席と助手席に座っているかのように、そんな感じの会話を形から始めたい。一人の力じゃ進めない程度でいい。
完璧じゃなくていいよね。
このブログも、ゆるーくほそーく続けようと思った。
完璧じゃなくていい