金曜日、
今朝、いつも聞いているvoicyのながら日経を聞いていたら、今日8月25日は即席ラーメンの日、ということが紹介されていた。
1958年の8月25日、世界初の即席ラーメンである「チキンラーメン」が日清食品から発売された日のこと。
これにちなんで、パーソナリティーの方が、ご自身の即席ラーメンに関するエピソードを語られていた。
”私は、あえて選ぶなら、明星チャルメラが好きです。
なぜなら、小さい頃、母と子供達だけで一日中家にいるお休みの日、
母が、「今日は何もないし、お父さんもいないし、即席ラーメンでいっか」と言って
作ってこれたものが、明星チャルメラだったからです”
とのこと。
このエピソードすごくよくわかる。僕は今30歳だけれど、たしかに同じような想い出はあって、
「今日冷蔵庫に何もないし、父さんは飲み会らしいから、素麺でいっか」
と、よく言っていた。今日の放送を聞いて、このエピソードを思い出した。
この話は、自分が小さい頃だったら、特に何も違和感を覚えなかったと思う。
ただ、この「お父さんもいないし」という部分、働き始めて7年経って聞いてみると、すごくもやるのだ。
「お父さんもいないし、今日の晩御飯は何でもいっか」
ということは、逆に言えば、お父さんがいたらちゃんとしたご飯を用意しなければいけない、ということになる。
これは、どう考えてもおかしい。
僕の会社は特にそうなのかもしれないけど、仕事の量や役職に関して、全く男女の差別がない。正社員であれば、みな同じように仕事が割り振られるし、性別に関係なく、希望や能力によって、昇進していく。
つまり、仕事の大変さは男女関係ないのだ。
にもかかわらず、
母親がご飯を”用意”しなければならないという前提、
父親には、”ちゃんとしたご飯”を用意しなければいけないという凝り固まった考えと実態。すごくもやる。
料理は作るものであって、用意するものではない。
小学生の時、自分のものは自分で用意する、ということは習ったはずである。
それが、なぜ社会人になると自分のものの用意ができなくなってしまうのか。
まあ当時は、男女の役割というのが、今よりも、もっとはっきりと分けられていて、男性は外で働き、女性は家庭の中にいる、みたいなことが言われてたのかもしれない。
実際に、僕の家もそうだった。血が繋がっている、今とは別の父は、酒飲みだったから、母はつまみとして多くの種類のおかずを作らないといけなかった。
そういうよくわからない不平等が重なり、最後はマーガリンを塗っていたナイフを父に投げつけて、出ていったのだ。
ちなみに、「晩ご飯」と辞書で検索しても、女性が男性に用意する食事、なんていう意味は全く出てこない。
やっぱり、「お父さんにはちゃんとした晩御飯を用意しなければならない」というのは、おかしいと改めて思った。
もやもや