(特定の宗教団体を否定するものではありません)
月曜日、
今日伝えたいこと、それは
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①唯一絶対的に正しいことなんてない。
この教えを聞けば救われる、幸せになれる、なんて断言できるものはない
②どんな人だって、聖人だって、悩んで迷っている
③視野を広げる、そのためにリベラルアーツを深める機会を持ちたい
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今日も今日とて、いつもと同じように沢山の音声メディアに触れた。
ただ、先日の朝日新聞主催のPODCAST MEETING 2023で、他の参加者が薦めてくれた放送をまず聞いてみた。
これが、本当に自分の心に刺さった。4週によって放送された、滋賀・玄照寺の住職である、瓜生さんの話だ。
瓜生さん自身、大学入学と同時にカルト宗教に入り、12年間その活動を続けていた。
いまは脱退をして住職となり、カルト脱退の支援などにも携わっている。
(1回目だけ記事で共有)
自分がとても辛い状況にある時、
何かに縋りつきたい衝動に駆られることは、よくあると思う。
周囲の人間はとても幸せそうに見えて、
「なんで自分だけ、こんな辛い目に合わなきゃいけないんだろう」
「人生の目的ってなんだろう」
「唯一絶対の正しい答えが欲しい。もう悩みたくない。。。」
こんな風に思ってしまうと思う。
自分の話をしてしまって申し訳ないのだが、この住職の話が心に響いた理由、それを書かせてほしい。
僕は小学校1年生の時に、母子家庭となった。
DVと金遣いが酷い父親が出て行った。
ある朝の朝食。母は、トーストにマーガリンを塗っている。
ふと、その時に握っていたバターナイフ。
それを振りかざして、父親に刺そうとした。
刺さったかどうかは、もう覚えていないけど、その瞬間、
「あ、もう終わりだね」と、なぜか家族全員が納得し、父が出て行った。
泥沼化した調停は全然決着が着かず、シングルマザーとなった母は、
深夜バイトとしてココスでの勤務を始めた。日中は他の仕事をしている。
それでもお金が足らない。
こういう絶望の時って、本当に不思議なんだけど、
どこからともなくそういう臭いは漏れるみたいで。
②創価学会
この2団体が、ほぼ毎日うちに来るようになった。勧誘だ。
それぞれが持ってくるパンフレット。そこには絶対的な教祖様の教えが書かれている。
「とにかく、これを信じれば救われる」
そういうものが欲しい。
もうそんなことは、母の顔に書いてあった。
ただ、入信を踏みとどまらせたのは、周りの友人・親族の声だ。
まず、僕の祖母
「大変だね。でもね、年金でくらす私だって大変なの。
みんな大変なんだよ。辛いの。あなた一人が辛いんじゃないの」
そして、母がとても仲良くしている友人
「何言ってんの?みんな悩んでるんだよ。
完璧なんてないの。大丈夫だよ、私だって同じ」
更に、母にピアノを習っていた生徒のお母さん
「みんな色々大変なんだよね。
今、うちはなーんもないから、ほらこれ、とりあえず野菜と米持ってきたから」
僕は、2階の自分の部屋のドアを少し開けて、この会話をいつも聞いていた。
こういう言葉たちが、母の入信を防いでくれたと思っている。
この経験があったから、今回のポッドキャスト配信は、本当に心に響くというか、
想像に難くなかった。
僕はまだ30歳。
正直、母のような環境に置かれたこともなければ、
この住職のように人生に絶望するような経験もない。
ただ、性格として、やっていることの意味や本質を意識してしまい、
正しさを追い求めてしまう傾向がある。
こういう時は、自分の視野が極端に狭くなっていて、
とにかく正義に縋りたい、もう悩みたくない、信じる存在が欲しい、とそんな気持ちになることがある。
でも、だれかの正しさは、だれかにとっての悪であるように、
正しいに唯一はない。だから、これだけ宗教がたくさんあり、同じ宗教の中でも宗派が枝分かれしているのだと思う。
深く深く入信してしまう人、特にカルト集団はそういう人をターゲットにするのがうまいと思う。
一歩危ない道に入るのを防ぐのは、広い視野だと思っている。
話せる友人、家族がいる人は周りとコミュニケーションをしっかりとること。
それが難しいのであれば、多様な価値観や考え方に触れること。
様々な立場の生き方を除くこと。
越境すること。
まさに、リベラルアーツを深めることが大事だと思う。
もし、
「もう人生疲れた、悩みたくない」
「今の私にこの考えはぴったしだ。もうこの教えについていきます」
こんな風になっている人がいたら、
世の中には絶対的な正しさはないこと、
そしてどんな人だって悩んで、迷って生きていること、そしてそれは全く恥ずべき事ではないこと。
それを伝えたいと思った。