HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

9月18日 あなたも、わたしも、迷っていい。

(特定の宗教団体を否定するものではありません)

 

月曜日、

 

 

今日伝えたいこと、それは

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①唯一絶対的に正しいことなんてない。

 この教えを聞けば救われる、幸せになれる、なんて断言できるものはない

②どんな人だって、聖人だって、悩んで迷っている

③視野を広げる、そのためにリベラルアーツを深める機会を持ちたい

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今日も今日とて、いつもと同じように沢山の音声メディアに触れた。

ただ、先日の朝日新聞主催のPODCAST MEETING 2023で、他の参加者が薦めてくれた放送をまず聞いてみた。

 

これが、本当に自分の心に刺さった。4週によって放送された、滋賀・玄照寺の住職である、瓜生さんの話だ。

瓜生さん自身、大学入学と同時にカルト宗教に入り、12年間その活動を続けていた。

いまは脱退をして住職となり、カルト脱退の支援などにも携わっている。

(1回目だけ記事で共有)

 

www.asahi.com

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自分がとても辛い状況にある時、

何かに縋りつきたい衝動に駆られることは、よくあると思う。

周囲の人間はとても幸せそうに見えて、

 

「なんで自分だけ、こんな辛い目に合わなきゃいけないんだろう」

「人生の目的ってなんだろう」

「唯一絶対の正しい答えが欲しい。もう悩みたくない。。。」

 

こんな風に思ってしまうと思う。

 

自分の話をしてしまって申し訳ないのだが、この住職の話が心に響いた理由、それを書かせてほしい。

 

僕は小学校1年生の時に、母子家庭となった。

DVと金遣いが酷い父親が出て行った。

ある朝の朝食。母は、トーストにマーガリンを塗っている。

ふと、その時に握っていたバターナイフ。

それを振りかざして、父親に刺そうとした。

刺さったかどうかは、もう覚えていないけど、その瞬間、

「あ、もう終わりだね」と、なぜか家族全員が納得し、父が出て行った。

 

泥沼化した調停は全然決着が着かず、シングルマザーとなった母は、

深夜バイトとしてココスでの勤務を始めた。日中は他の仕事をしている。

それでもお金が足らない。

 

こういう絶望の時って、本当に不思議なんだけど、

どこからともなくそういう臭いは漏れるみたいで。

エホバの証人

創価学会

この2団体が、ほぼ毎日うちに来るようになった。勧誘だ。

 

それぞれが持ってくるパンフレット。そこには絶対的な教祖様の教えが書かれている。

 

「とにかく、これを信じれば救われる」

そういうものが欲しい。

 

もうそんなことは、母の顔に書いてあった。

 

ただ、入信を踏みとどまらせたのは、周りの友人・親族の声だ。

 

まず、僕の祖母

「大変だね。でもね、年金でくらす私だって大変なの。

 みんな大変なんだよ。辛いの。あなた一人が辛いんじゃないの」

 

そして、母がとても仲良くしている友人

「何言ってんの?みんな悩んでるんだよ。

 完璧なんてないの。大丈夫だよ、私だって同じ」

 

更に、母にピアノを習っていた生徒のお母さん

「みんな色々大変なんだよね。

 今、うちはなーんもないから、ほらこれ、とりあえず野菜と米持ってきたから」

 

僕は、2階の自分の部屋のドアを少し開けて、この会話をいつも聞いていた。

こういう言葉たちが、母の入信を防いでくれたと思っている。

この経験があったから、今回のポッドキャスト配信は、本当に心に響くというか、

想像に難くなかった。

 

 

 

僕はまだ30歳。

正直、母のような環境に置かれたこともなければ、

この住職のように人生に絶望するような経験もない。

 

ただ、性格として、やっていることの意味や本質を意識してしまい、

正しさを追い求めてしまう傾向がある。

 

こういう時は、自分の視野が極端に狭くなっていて、

とにかく正義に縋りたい、もう悩みたくない、信じる存在が欲しい、とそんな気持ちになることがある。

 

でも、だれかの正しさは、だれかにとっての悪であるように、

正しいに唯一はない。だから、これだけ宗教がたくさんあり、同じ宗教の中でも宗派が枝分かれしているのだと思う。

 

深く深く入信してしまう人、特にカルト集団はそういう人をターゲットにするのがうまいと思う。

 

一歩危ない道に入るのを防ぐのは、広い視野だと思っている。

話せる友人、家族がいる人は周りとコミュニケーションをしっかりとること。

それが難しいのであれば、多様な価値観や考え方に触れること。

様々な立場の生き方を除くこと。

越境すること。

まさに、リベラルアーツを深めることが大事だと思う。

 

もし、

「もう人生疲れた、悩みたくない」

「今の私にこの考えはぴったしだ。もうこの教えについていきます」

こんな風になっている人がいたら、

世の中には絶対的な正しさはないこと、

そしてどんな人だって悩んで、迷って生きていること、そしてそれは全く恥ずべき事ではないこと。

 

それを伝えたいと思った。