HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

2月3日 「まだ大丈夫」は大丈夫ではない

土曜日、

 

 

僕の姉は小学校の途中から、スポーツ少年団ソフトテニスを習っていた。それもあって、中学校の時はソフトテニス部で関東大会までは行っていた結構な実力者だったりする。

実力を維持するために、放課後はもちろん、夜は大きなドームの中で夜練もあったし、土日も常に練習や試合があった。

以前からも書いている通り、途中で母子家庭になった僕の家庭は、姉はそんな状況だから基本家に居ない、母は午前中はニチイでヘルパーとして働き、午後は自分の本業のお花教室、夕方からはココスととカラオケでのパート、みたいな形だったから、だれが家事をやるかというと僕だった。

それは当然のことだと思う。当時小学校高学年だった僕は、スポ少でバスケットを習っていたものの、友達のお母さんが送り迎えをいつもしてくれたし、基本夜9時には家に帰ってこれた。

一番時間があったのは僕だったし、当時は家事がみるみるうちに出来るようになっていく自分の変化が面白くて、全然苦じゃなかったし、全てを同時並行でこなしていくのがまるでゲームみたいで楽しかった。

 

それでも、家事をやっているのは僕だということで、母は姉よりも僕を褒めた。朝起きた時は母がいるので、

「昨日も家のことありがとうね」と、そういう風に姉がいる前で言ってくる。別に悪気はまったくなかったのだと思うし、姉に対しても「体大丈夫?」みたいに、気にかけていた。

 

「全然大丈夫」。そう言って姉はパパっと用意を済ませて、すぐに朝練に向かってしまう感じだった。

 

姉は大丈夫じゃなかった。

具体的に言うと、姉のテニスシューズが大丈夫じゃなかった。これは、母が当時の部活の顧問から後になって聞いた話として、僕も聞いたことだ。

 

姉のテニスシューズは、右も左も穴が空いていて、しかも靴底の窪みも全くなくなっているほど擦れていた。でも、うちにお金がないことを知っていた姉は、新しいシューズを買ってほしいとは言わなかった。登下校は学校指定の白い運動靴を履いているから、母は気づかなかったのだろう。

 

そして、姉とダブルスを組んでいた当時の部長が、部員に一人300円でいいからといって、姉が新しいテニスシューズを買えるように寄付を呼び掛けて、それを顧問のところに持ってきたのだという。

 

母は驚愕したという。全然大丈夫じゃなかったのだ。姉もそうだが、母もそうだ。全然娘のことを見れていなかったのだ。

 

やっぱり部活でトップにいると、クラスや学校でも一軍になるのだろう。当時姉は、同じく水泳部のエースと付き合っていて、夜練がない日は彼が姉をうちまで送ってきていた。その彼の弟と僕が同じクラスだったから、色々と聞いていた。姉は彼氏には色々相談をしていたらしい。

 

だからと言って母を責めることはできない。母も、僕らの前では絶対に弱音を吐かずに、いつも「大丈夫大丈夫」と言っていた。当時は言語化することができなかったけど、今考えると、これが母親の強さなのかとも思ってしまう。

 

都内にはいくつか大きなテニスコートがあるが、土日に仕事をしている場所の割と近くに、そのテニスコートがある。先週末は全然人がいなかったけど、今日は沢山いた。

その様子と、Voicyで尾石はるさんが、ワンオペについて社会構造から考えないといけないと言っていたこと、それに朝日新聞ポッドキャストでも、親の生きづらさについて放送されていて、そういう色々なものが混ざって、当時の記憶がよみがえってきた。

voicy.jp

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僕が中学校3年生の時、新しい父との暮らしが始まって経済状況は前よりは楽になったけど、もしずっと当時の状況が続いていたらと、思うとちょっとゾッとする。

もし今でも家族みんなが互いに、

「まだ大丈夫」と言い続けていたら、どうなっていたのだろう。

 

でも、ちょっと考える。

「頑張るしかないし、大丈夫だよ~」

これ、今の僕の口癖になっている。子供や親の背中を見て育つというけど、僕も姉も母も、いまでもみんなギリギリまで色々とやってしまう人である。

それである時に寝込むのだ。

 

まだ大丈夫、これはもう大丈夫じゃないのかもしれない。確かに、今の会社に転職してから丸一日休んだ試しがない。と、ここで今はもう振り返るのをやめておこう。これ以上振り返ると、ちょっと戻れなくなりそうだ。

とはいえ、今の会社は力をつけるための数年間と決めて入社してるから、まあ納得はするのだけどね。

 

でも、あなたは違うんじゃないですか?

本当に、まだ大丈夫ですか?