木曜日、
無になること、空(くう)になること、これの往復運動なんて、これまでの人生で全然意識してこなかった。
無になるというのは、何も考えないことだ。例えば、作業に没頭していたりすると、何も考えずに勝手に手が動いていたりする。
この無の究極系が、呼吸だ。「呼吸をしよう」といちいち考えて呼吸している人はいないだろう。無になるというのは、まるで呼吸をするように考えずに何かを行うこと。
一方で空(くう)になるというのは、空間と一体になるような境地。
何かの行動を起こす際、まずそこには「私」という主語があり、この私がその作業をしているのだけど、やがて自我を失いその空間自体が主語となる。
例えば、チーム医療みたいなものがそうかもしれない。執刀医がいる=主語としての私がいるのだけど、やがてそのチームとなって手術室という空間が主語となっている。
ゾーンに入る、とでもいうのだろうか。
無は全く考えていないという状況だけど、
空はまず自分が考え、そして集中し、最終的にはその場・空間全てが一つになる、ゾーンに入るということ。
これを往復することによって、自分が満たされる感覚を覚えられる。
なるほど、非常に納得した。
なんにも考えない状況としての無の私と、没入してゾーンに入る私とが往復することで、太い豊かな人生が送れそうだと、そう思った。