HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

11月4日 強烈な違和感と没個性

土曜日、

 

 

今日は、僕が小さい頃からよく感じている違和感について、書きたいと思う。

違和感について書こうと思ったのは、9月から入会しているフライヤーブックラボで投稿された、コピーライター阿部広太郎さんの音声記事。

9月から月に1回、自分のおすすめの書籍を紹介する記事として、阿部さんは音声を投稿されている。

ただ本を紹介するだけでなく、毎回問いを投げかけている。

今回の問いが、「自分の中にある違和感、もやもやすること、なかなか言葉にするのが難しいことは何か」ということだった。

 

labo.flierinc.com

 

僕が強烈に違和感を覚えるのは、

「~として」という言葉だ。もう少し丁寧に説明すると、~としてという枠組みで語られることに強烈な違和感を覚える。

 

最初に強く違和感を覚えたのは、中学生の時。当時、まだ一緒に暮らし始めて間もなかった新しい父親に

「男としてそういうことを言っちゃいけないんだ」と言われた時に、

全身に鳥肌が立ったのを覚えている。

 

男としてってどういうこと?

じゃあ、女として、と言う風に使う時は、それは何を意味してるの?

当時は問い詰めることさえできずに、暗澹たる気持ちが体中を駆け巡って逃げ口を探していた。

 

思い返せば、僕は小さい時から、いわゆる「普通」「規格内」というところから、外れていた。

まず、女性にも男性にも恋愛感情を抱かない。

僕や俺、私という一人称を使うことができなかった。

中学生まで巨漢で、ユニクロみたいなお店にも洋服がなく、全て特注だった。

途中でシングルマザー家庭となり、親が2人いる家庭というのが分からなかった。

姓が通称と正式なものと、二つあった。

 

とにかく、いわゆる普通のところからはだいぶ外れたところにいたから、世の中的な規範や価値観で「~として」と言われて括られることが、本当に気分が悪かった。

 

そこから解き放ってくれたのは、やっぱり音楽や美術だったなぁと、今考えると思う。

自由に表現することがとても楽しかったのを覚えている。

 

この、「~として」で括られることに対する違和感は、それからずっと、そして今でもずっと僕の中に残っている。

 

〇〇大学の生徒として、とか

新入社員として、とか

〇〇社の一員として、とか

マーケターとして、とか

リーダーとして、とか。

 

その「として」が示す模範像とは、一体なんだ?

本当にむさ苦しい。

 

でも、社会人になってから分かったこと。それは、いちいち引っかかっていると、生きづらいということ。

そして面倒くさがられるということ。

さらには、周りから人がいなくなっていくということ。

 

僕はお金を稼がないといけない。ちゃんと会社で成果を出さなきゃいけない。

身に着けた術は、違和感の反対、つまり、あえて「~として」を意識することだ。

つまり、世の中の常識、規範のど真ん中になることだ。

 

没個性だ。

 

なんだこの矛盾は、と書きながら覚えている。

 

自分でもどうしようもできなくて、もやもやしている違和感、これが今回のお題だったけど、違和感を覚えているイメージに自ら接近しているという違和感、これが私が抱える違和感なのだ。