日曜日、
今週の木曜日のブログ(タイトル:一緒に帰ろう)の中で、会社を出るくらいまでの距離が一緒に帰るのにはベストな距離だ、ということを書いた。
なぜこれくらいが一番いいのだろう、何となくの理由は分かっていたけれど、うまく言語化することができていなかった。そんな矢先、今日聞いた荒木博行さんのVoicyを聞いて、うまい言い方が見つかったような気がした。
私たちは社会で生きている以上、社会性という仮面をつけて生きている。
この仮面は決して軽くはなく、大人になればなるほど、とても重くなると思う。日々誰かと一緒に生きていく中で、それぞれの場に合わせて別々の仮面をつけている。
親としての仮面、
チームのリーダーという仮面、
夫という仮面、
Aさんの前でつける仮面と、Bさんの前でつけている仮面もまた違う
力関係や関係性が複雑になればなるほど、この仮面は重くなる。
「ああ、早くこの重い仮面と外させてくれ・・・」
唯一この仮面を外すことができるのが、1人になれる時間の時だ。
だから、早くこの身に着けた仮面を取りたくて、オフィスを出た瞬間に1人になりたいのだ。
僕は一人暮らしをしているから、家に帰っても仮面をつける必要はない。でも、結婚していたり、家族と暮らしていたら、今度はそれぞれの立場の仮面をつけなければいけない。
「仮面をつけていない自分って、果たしてどういう自分なんだっけ?」
ずっと仮面をつけ続けていると、いつしか自分の中心にいる、本当の自分が分からなくなってしまうのではないか。
幼稚で丸裸の自分が誰にも存在しているのに、それが分からなくなってしまうと、帰る場所がなくなってしまう。
だから、だれにとっても一人になる時間が必要だと、僕は思う。
そういえば、平野啓一郎氏の有名な本で「私とは何かー個人から分人へ」という本がある。僕も2年前くらいに読んだ覚えがある。
あの本では、個人なんていうものはいなくて、その場の環境によって、自分というのは変わってしまう。我々は分人(ぶんじん)である、ということを書いている。
そこは非常に納得がいく。
例えば、ストレングスファインダーで考えてみたい。僕は、前職を辞める時、退職のプレゼントとして何がいいか尋ねられた時、この本を頼んだ。自分の強みを理解するための質問集で、何が自分の一番の強みで、逆に何が自分の弱みなのか、資質がランキングされて出てくるのだ。
当時は、前職を退職して、今の職場で勤務開始するまでのモラトリアム期間。だから、割と素の自分で受けたと思う。結果として、僕が一番強みとして出てきたのは、
「学習」だった。まあ納得した。
ただ、もしこのテストを前職中に、もしくは今のタイミングで受けたら、恐らく結果が変わってくるんじゃないだろうか。
テストを受ける時の環境や心境で、結果が変わると思う。
ここからも分かる通り、やはり私たちは環境や相手に合わせて、複数の自分を使いこなしているのだ。
改めて思う。僕は1人じゃない時間、演技をしているような感覚になる。
これじゃあ誰かと一緒に住んだら、最後は窒息しちゃうんだろうなぁと、改めて思う。
でも、実は、この自分の中心にいる幼稚な自分の中に、一番の才能や魅力が隠れているのかもしれない。
例えば、こういう日記を書いている時、まさに僕は仮面を脱いで書いている。文章がスラスラと脳内で生産されていく。
ピアノを弾いている時、たとえ人前であったとしても、素っ裸の僕で表現している。そうしないと、うまく弾けない。
絵を描いている時もそう。
マーケティングの戦略を考えたり、骨子を考えたりするときもそう。
だから、実は一人でいる時にしか見せていない、自分の中心にいる自分を、少し回りにチラ見してみると、何か物事が新しい方向に動くのかもしれない。
親は自分の子供の良さを理解している、というのはよく言われているけれど、考えてみれば、すっぽんぽんで生まれてきた瞬間から、親元から独立するまでその姿を見てきている。だから、周りが気が付いていない良さをこっそり知っていたりするのかもしれない。
別に、わざとチラ見させる必要はないと思うし、そういうあざとさは逆効果だと思う。でも、少しずつ、例えば洋服は来てるけど靴下は履いていない、みたいなそんな感じから、自分の中心にいる自分を見せ始めてもいいのかもしれない。
でも、そのためには、まず自分の中心にいる自分を自覚して、どういう自分なのか言語化する必要がある。
そして、最も重要なこととして、その素の自分を好きになって上げる必要がある。その自分を肯定できなければ、チラ見することも難しいと思うから。