木曜日、
「かわいいって、そういうことかもしれない」
このポッドキャストを聞いて、そう思った。
この日記で何度もシェアしている、朝日新聞のポッドキャスト番組だ。その中の「MEDIA TALK」という番組で取り上げられていた、博多人形の職人さんにインタビューをした放送だ。
この職人さんは、今年の第70回日本伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞した方とのこと。その縁もあって、朝日新聞ポッドキャストに出演されたようだ。
博多人形というものを、この放送を聞いて初めて知った。
何とも言えないツルんとした白いもち肌で、ぽっちゃりふくよかな体型。もちろん、美しい女性の人形もあるけれど、調べてみて最初に目に留まったのは、ぽっちゃりとした子供の博多人形。
かわいい~という感想に尽きる。
今回登場された方は、博多人形の中でも「中村人形」という1917年から代々続くお家の4代目。博多人形にも色々とあるみたいだけど、SNSで調べてくると、中村人形さんの作品は、ぽっちゃりとした子供の人形が多い。もしかすると、こういう可愛い作品が多いのは、4代目の弘峰さんの個性が表れているのかもしれない。
彼はこう話していた。
「僕の場合は、あまりリアルにできているのも好きじゃない。ちょっと下手ぐらいというか、かわいいものがすっごい好きなんだ」
「かわいいって何かっていう話になると思うんだけど、足りないというか、鑑賞する側の頭や心で補完して成立するもの、それがかわいいものなのかなぁって思う」
「例えばスターウォーズのリアルなフィギアというよりも、デフォルメしてあったり、雑に作ってあったり、逆に楽しようとして手を抜いているもの、みたいなものが逆にかわいって思う」
僕はこの言葉を聞いて電撃が走った。
たしかにそうだ。これって人形とかおもちゃじゃなくて、人間にも当てはまる。
例えば赤ちゃん。赤ちゃんって、ユニバーサルで可愛いと思う。それは、顔も体型もリアルじゃないというか、人というよりは小さな生き物、みたいなそんな感じだ。
そして、赤ちゃんは絶対に1人じゃ生きていけない。親や周りの人に補完されて、成長することができる。
赤ちゃんは「かわいさ」という強力な魅力を纏っているのだと改めて実感した。
そしてこれは、大人でも言える。
「あ、なんかこの人可愛げがあるひとだなぁ」ってそう思う人って必ず周りにいると思う。そういう人って、どこか隙を残しているというか、ツッコミどころを用意してくれているというか、そんな感じがする。
才色兼備の人に対しては、かわいいって思わないのはまさにこの逆の例だと思う。
僕は見た目に全く自身がない。でも、普段の生活や仕事に関しては、極力全てを自力でこなそうとしてしまう完璧主義者だ。
だからだと思う。昔から、かわいげがあるねって言われたことがあまり多くない。
でも、唯一言われていた時がある。それが大学生の時だ。特に、学部や大学を飛び出して、他のコミュニティにいる大学生や大人と関わるようになった時。
「どんだけ頑張っても、この人たちみたいにはなれないや。。。」と手も足も出ない状態だった。
あとはカンボジアで一人暮らしを始めた時。何をやっても失敗しか起きない。そんな感じで打ちひしがれていた。
完璧になんかなれないし、もうそうなったら髪の毛振り乱して、
「全然できないです、わかんないです、教えてください。助けてください」って、そんな風に相手の懐に縋りついていた気がする。
今考えると、そういう自分は確かに可愛げがあったかもしれない。
ついつい完璧を目指してしまうけど、どこまでいっても完璧の先にまた完璧があって、それが永遠と続く。そのレースに参加してる時の自分の姿や目つきって絶対怖いんだろうなぁと思った。
そして今、僕はそうなってしまっている。新たに役職をもらった身として、とにかく完璧にこなさないと、と自分に常に言いまくし立てている。
うん、目指すは博多人形、そして中村人形だ。
かわいくなろう。