HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

10月22日 見えないからこそ、理解が深まる

日曜日、

 

 

今日は、最近新たに始まったポッドキャストの番組を紹介したい。

偶然にも、僕の誕生日の日から始まったポッドキャストで、なんだか運命を感じていた。

『見えないわたしの、聞けば見えてくるラジオ』である。

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メインのパーソナリティは石井健介さん。36歳の時に、突然視力を失い、中途失明者となった石井さん。しかし、そこから、「見える世界」と「見えない世界」を繋ぐ仲介者、「ブランド・コミュニケーター」として活躍されている。

初回の放送は、ゲストがジェーン・スーさんであった。2人の会話でとても印象的だったもの。それが、視力を失ってから、好きな異性のタイプに変化が起きたかどうか、の話である。

 

石井さんはファッション系の仕事をしていたこともあり、一般的な人以上に、他人の見た目に目が行きがちだったとのこと。異性でも、そして男性でも、まずは外見に目が行き、

「あ、この人めちゃくちゃおしゃれだな」とか、

「この子、めちゃくちゃタイプだわ」と、とにかくコミュニケーションの最初が、常に見た目の情報によるものだったとのこと。それによって、勝手な決めつけのようなものも生まれていたらしい。

今でも、本当に微かに視力は残っている石井さん。ただ、視力を失った今、そこには外見で人を判断するといったその思考すら、一切なくなったとのこと。

 

その結果、まず人の話を聞けるようになり、そして理解できるようになったとのことだった。

 

このエピソードを聞いて、僕は色々と思い出していた。

 

まず、ラジオやポッドキャストなどに代表される音声メディア。僕が最も愛するメディアである。テレビやYouTubeとかと比べて、話している内容をしっかり聞こうとする気持ちが生まれる気がする。

だから、視覚情報が入ってくる日中よりも、日が落ちた後でラジオやポッドキャストを聞きながら、暗い夜道を歩くことが好きなのだ。

 

声から景色を想像し、想像するから理解が深まる、理解が深まるから気がついたら没入していて、自分の記憶に刻まれる。こんなに贅沢な経験はないと思う。

 

そしてもう一つ思い出したこと。それは、音楽。

 

僕は合唱が盛んな中学校に通っていた。毎年、クラス対抗の合唱コンクールがあり、放課後になるやいなや、どのクラスでも合唱の練習が始まる。

もちろん合唱も好きだったのだけど、僕が最も好きだったこと、それは合唱画を描くことである。

 

クラスで選んだ自由曲の歌詞と旋律、そこからどんなイメージを想像するか、それを2m×3mの画用紙に絵具で描くのだ。これが大好きだった。

別にまったく生き物が出てこない歌なのに、僕には2人の人間が座っているようなシーンが想像できたり、はたまた空に向かうヒマワリがイメージされたり。

 

言い方を変えれば妄想なんだけど、妄想するためには曲に寄り添わなければいけない。

 

ただ、合唱はまだ「歌詞」というヒントがある。だから、どうしても想像できる範囲が狭まるし、周りの人と似通ってしまうことも多い。

 

だからこそ、僕がもっと大好きだったもの、それは歌詞がないクラシック音楽だ。妄想しながらピアノを弾くことが、たぶん一番大好きな遊びだったと思う。

 

もし、楽譜に何かしらの絵が描かれていたら、恐らく幻滅していたと思う。でも、歌詞も絵もついていない。あるのはコードだけ。そして、ピアノじゃなくてサックスで吹いたりすると、更に妄想のイメージが変わってくる。

 

ああ、きっとベートーベンは頭の中散らかってたんだろうなぁと思わせる旋律もあれば、リストは恋に情熱を持ちつつも、結構嫉妬深かったのかな、だから鮮やかなオレンジというよりも、艶やかなオレンジ色かもしれない、この曲。

 

こんな感じで妄想しながら、耳から入る情報を理解していた。

 

 

さて、冒頭に戻るけれど、視力を失った石井さん。でも、彼のエピソードから分かる通り、理解する力は相当深まったのだと思う。そして想像しながら会話をすることで、より丁寧にやさしく表現ができるようにもなったのだと思う。

 

タイパが求められる昨今だけど、音声メディア・音楽を通じて想像する・妄想する時間にタイパは求めないでほしいな。