HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

1月20日 自由に優劣はあるのか

土曜日、

 

 

この話は、自分自身がどういう状況に置かれているかによって、感想が変わってくるかもしれない。

安部公房の『砂の女』である。

 

www.shinchosha.co.jp

 

この話を初めて読んだのは高校1年生の時。夏季休暇の読書感想文の課題図書であった。その他にも課題図書が2冊あり、一つが深沢七郎著『楢山節考』、もう一つが小林多喜二著『蟹工船』であった。今考えると、相当ハードな3冊だったと思う。ただ、当時の僕にとっては、どの本も非常に衝撃的であった。

その中で、一番よく分からなかったのが、この『砂の女』である。よく分からなかった、というのは内容が理解できなかったというのではなくて、なぜ主人公は最後は砂穴の中に残ることを選んだのか、ということである。逃げるための縄梯子は残されていたままだったのに、だ。

 

僕は当時、ものすごいハードな高校生活を送っていた。朝7時から8時半までの部活の朝練、授業、午前中の休み時間の間に弁当を掻き込んで、昼休みはまた練習、放課後も9時まで練習。顧問に絶対服従みたいな部活だったから、一言で言うと『窮屈』であった。まるで授業や帰宅後の勉強が楽しいと思えるくらい、部活がきつく窮屈だったのだ。

全員部活動入部制だったため、ひとたび退部すると、他の部活でもついていけなくなった生徒同士でつるんでいるのだが、周りからの蔑みといったら酷かった。何があってもこの環境から逃れられない、そう思っていたからこそ、自由への渇望は世の中の誰よりも持っていたと思う。

 

そんな環境の中、帰宅中のバスの中で読んでいたのが、この安部公房の『砂の女』である。

「おい、なんで逃げないんだよ!意味が分からん」

結局この結論が当時全く腑に落ちなかった。当時の僕は、置かれている環境から逃げたくて逃げたくて溜まらなかったからである。

ただ改めて、今回この本を紹介している荒木さんのVoicyを聞いて、確かに自由には2つあるのかもしれないと思った。積極的自由、それから消極的自由だ。

voicy.jp

 

積極的自由とは、今いる場所から新しい場所へと自由に羽ばたくという、まさに当時の僕が欲しくて欲しくてたまらなかったもの。そして消極的自由とは、誰にも邪魔されないで今の場所に留まっていたいというものである。

放送を聞いて、確かに、と思ったのは、積極的自由の方が世の中的には「良い」とみなされていることだ。進学と就職とか成長とか、次のステップに進むものはだいたい一般的には良いとされていて、ある一定のタイミングからはそこに「選択肢」という自由が発生する。

選択肢が与えられるならそれを最大限有効活用しなければいけない、という「自由でなければならない」という語義矛盾である。

果たしてそれが本当に正しい自由なのか。

 

目線を外へ外へと向け続けると、そこには限界がないということが分かるだろう。

「家の外」「学校の外」「会社の外」「東京の外」「日本の外」「アジアの外」「地球の外」

求める自由の先には、必ずもっと大きな自由があって、求めても求めても次の自由が生まれてくる。渇望は絶えないこの状態を、果たして本当に自由といえるのだろうか?

 

一方で、今いる場所に留まるという自由。我々は、今置かれている外側に世界があることを知っているから比較をしてしまうだけで、もし今の状況しか知らなくて、それが安定していたら、ずっとそこに留まっていたいと思うのではないだろうか。

特に、その環境下である一定の地位があったり、何かしらの功績を認められていたりしたら、尚更である。

 

そう考えると、どっちの自由が上で、どっちの自由が下で、なんてそんなことはないのかもしれない。

そしてその時の自分がどういう自由を求めているかによって、自由の善し悪しは変わってくると思った。

ちなみに今の僕は、まだ現状に留まっていたいとちょっと思いつつ、少しずつ外の世界を求めている状況だ。この綯交ぜな環境で『砂の女』を読んだら、どんな感想を抱くだろうか。

興味深い。