HONEST

齢31歳。音声コンテンツ好きの僕が、日々の学びや気づきを、文章とイラストで自由に記録していきます。

2月25日 猛獣使い

日曜日、

 

 

毎朝聞いている、本の要約サイト「フライヤー」の要約。少なくとも、必ず1日1冊は新しい本の要約が出ており、ほとんどのものが耳読可能だ。

この前の金曜日だったかな。基本的にはビジネス本の要約が多いのだけれど、その日の要約は「山月記」だった。中島敦の作品である。

めちゃくちゃ懐かしい。中学生か高校生の時、現代文か何かの教科書に載っていた気がする。教科書に載るくらい有名なのだが、それくらい短時間で読めるということなのだ。だから、要約もほとんど本文全てと言っても良いくらい、かなり濃い内容になっていた。

 

主人公の李徴が虎になってしまう話だ。かなりシンプルに言うとこうなるのだが、ただ印象的なセリフがある。

『人は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性惰だ』

 

たぶん、高校生の時はこれを聞いたところで、特に何も思わなかったと思う。ただ、今改めてこの文章に触れてみると、もう胸がしめつけられるほど痛い。それくらい、社会人になってから、そして後輩を持つようになってから、そういうことあったよなぁと思ってしまった。

 

ここでいう性惰とは、各人が持っている尊大な羞恥心である。どこかで他人を見下していて、プライドが高いゆえに、何か指摘をされて恥をかきたくない。そういう羞恥心である。

ただ、李徴はその羞恥心が異常なレベルになってしまった結果、ある時気が狂ったように外に出ていき、そして虎になってしまったのだ。

これは比喩だけれど、羞恥心が溜まりに溜まって、膨大になればなるほど、人は醜い姿となる。羞恥心自体は、人間だれもが持っているけれど、それを手名付けながら生きている。もうちょっとかみ砕いていうと、膨満し切ってはち切れるようになる前の段階で、その羞恥心を放出する。つまり、羞恥心を捨てることで、内に宿る醜い獣をやっつけるのである。

 

厄介なのは、この獣は、人生経験を積めば積むほど大きく成長するということだ。特に、自分がこの分野については詳しいと思っていたり、この領域のプロになりたいという風に思っていることについて、何か指摘を受けたりすると、途端にこの獣が暴れはじめるのだ。

 

「自分の方が劣っていると思われたくない」

「お前よりも、俺の方が優れてるんだよ。馬鹿にするんじゃねぇ」

 

でも、この羞恥心が膨満してしまうと、新しい知識を吸収できるキャパシティがなくなってしまうから、それ以上の学習、そして成長は望めなくなるのだ。

そうなると、もうそこから負のループである。周りはどんどん進化していくのに、自分だけ取り残されていく。でも、焦りや遅れがバレるのが怖くて、意固地になる。もっと獣が大きくなる。大きくなればなるほど、新しい知識は入ってこない。もっと周りと差が出るし、遅れが生じてしまう。

 

結果どうなるか。

 

発狂する、すなわち李徴のように内側の獣が表に出てしまうのである。取り返しがつかないことになってしまうのだ。

 

じゃあどうするか。

正直回答はないのだけれど、僕が思うのは、一所に留まらないことだと思う。

身近なところで言えば会社。ある程度慣れてきたら、次の職場を探す。新しい環境では、羞恥心も何もないのだ。あなたのことなど、誰も知らない。誰も優れていると思っていない。完全な新人だ。

もう少し視野を広げれば、環境を変える。僕は、それは海外に出ることだと思う。

 

日本という知った社会の中だと、つい知った顔をしてしまって羞恥心が大きくなるばかりだ。でも、海外、とくにまだまだこれから発展していくようなところに行くと、そんな尊大な羞恥心を持っていたら、死ぬ。間違いなく、死ぬ。

恥をかいてなんぼ。というより、恥も恥と思わなくなる、それが普通。

 

僕は、カンボジア、フィリピン、タイ、中国と渡り歩いてきて、毎回何度も恥ずかしい思いをしてきたけど、そのたびに羞恥心が小さくなった気がする。

 

しかしここ最近は、日本に留まっている。これは問題だ。このブログでも、たまに自分の知識をひけらかしているような文章で、綴ってしまっていることがある。

獣が少し大きくなり始めている。

まずい。

膨満して破裂する前に、はやく恥をかいてしまおう。そして次の成長に向かいたい。

 

この山月記については、Voicyでも色々な人が取り上げている。その一つを紹介する。

voicy.jp