水曜日、
痛い。身体の話である。
大雪が降った翌朝。さすがに凍った路面をジョギングするのはやめて、かわりに筋トレを実施。
コロナ禍でジムも閉まっていた時、自宅で大きな音を立てず出来るエクササイズが流行った。その時にブックマークしていた動画を改めて再生する。
決して早い動きではないのだが、結構体にくる。そして、寒い朝にも関わらず窓を開けていても、汗が滴り始める。
この前聞いていたVoicyで、あるパーソナリティが「老化防止は太ももから」と言っていたが、本当にそうだと実感する。
太ももの上げ下げに、ここまで息が上がっているのを見ると、どうやら年を取ったらしい。
平気で10kmくらいはジョギングできるのだが、筋肉はついていなかったようで、代わりに年を取っていたのかもしれない。
そして今日は水曜日。今は水曜日の夜。体中が痛い。
椅子から立ち上がる時、洋服を着替える時、階段を降りる時、変な姿勢になってしまう。
でも、この痛みのおかげで、最近抱えていたもう一つの痛みの存在を暫しの間忘れることができた。
それは頭痛だ。
親知らずを抜いてから、舌の親知らずを抜いたにも関わらず、上の奥歯の部分がズキンと定期的に痛む。頭痛は集中力を妨げるから本当に嫌だ。
身体の痛みが、頭の痛みを忘れさせてくれるなんて、何だか不健康の権化みたいな感じがするけれど、これって心の痛みを自分を傷めて忘れさせるのと同じ作用なんじゃないか、そう思ってちょっと焦った。
世の中には痛みがたくさんあるけれど、それよりも大きな痛みがあると、過去の痛みを忘れてしまう。
ウクライナとロシアの戦争。この痛みを今も意識している人はどれだけいるだろうか。別に痛みの比較をしたいわけじゃないけれど、直近の痛みに上書きされてしまう。
自分の体で起きている痛みを通じて、痛みがもたらす間接的なネガティブ要素を垣間見た、そんな一日だった。